錆びたナイフ

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2024年9月30日
[本と映画]

「三体」 劉 慈欣(リウ・ツーシン)


「三体」

「三体・映画」


近頃評判のSF小説全五巻、5週間で読了.
宇宙人が攻めて来る、という話.
映画は、この原作の一巻目をTVシリーズ全30話として、中国で制作したもの.
原作より映画の方が面白い.

小説の冒頭は文化大革命の時代.
葉文潔(イエ・ウェンジエ)は天体物理学者.
彼女の父も科学者だったが、紅衛兵に糾弾され殺される.
その父を訴追し死に追いやったのは、葉文潔の母と姉だった.
葉文潔は反革命分子として目をつけられ、極寒地の営林場に下放される.
父の事件は、映画では中盤に出てくるが、暴虐な紅衛兵の描写はない.
過酷な娘時代と物静かな老年の葉文潔の人生が、この映画の基軸になっている.
単に「宇宙人が攻めて来る」という話ではない.

舞台は、2007年の中国の大都会と、葉文潔の過去1960〜70年台の極寒の森林地帯を行き来する.
現代では、世界中で著名な物理学者の自殺が相次いでいる.
ナノ・マテリアル学者の汪淼(ワン・ミャオ)の家に、史強(シー・チアン)という男が現れ、汪淼は秘密の国際会議に招集される.
主要国の軍を中心にしたアジア防衛理事会(ADC)のまとめ役が、常偉思(チャン・ウェイスー).
常偉思の手足となって辣腕を振るうのが、元軍人/刑事の史強だ.
物理学者自殺の背後に「科学境界」という学者たちの集まりがあり、その集会に参加した汪淼の身の回りに、奇妙なことが起こる.
カメラで撮った写真に数字が現れ、それはやがて汪淼の視覚のなかに出現する.
それは、カウントダウンする数字だ.
一体何が起こっているのか、パニックになる汪淼.
ずけずけものを言う史強に反発しながらも、汪淼は次第に史強を信頼し、このふたりが謎の解明にいどむ.
世界は戦争状態にあるというADCは、いったい何処と戦争しているのか.

40年前、葉文潔は天体物理学の知識を買われて、山頂の「紅岸」と呼ばれる巨大パラボラアンテナ基地で働くようになる.
ここで葉文潔は、雷志成(レイ・ジーチョン)と楊衛寧(ヤン・ウェイニン)という上司に出会う.
外界と隔絶したこの基地は、衛星を監視/撃墜するための実験設備ではなく、実は地球外生命体の調査が目的だった.
黙々と働く葉文潔は上司の信頼を得て、設備の中核をまかされるようになる.
彼女は、自ら発見した、太陽の電波増幅機能を使って宇宙に電波を発信することを提案するが、上司から却下される.
彼女は秘密裏にその実験を強行するが、何も起こらない.
その後、葉文潔は楊衛寧と結婚する.
そのほんの短い時期、この娘は笑顔を見せる.

葉文潔が電波を送ってから9年後、なんと応答があった.
(BU YAO HUI DA)応答するな・・と.
葉文潔は即座に返事を返す.
来てください、と.
これが、この長い長い物語の始まりである.
後年葉文潔は、高い科学技術をもった異星人は高い道徳を持っているはずだ、と述懐する.

異星人から電波が届いたことを知っているのは、葉文潔と雷志成だけ.
雷志成は、葉文潔が即座に返事を送ったことを知らない.
すると、あろうことか葉文潔は、事故に見せかけて雷志成を殺し、その事故の巻き添えで夫である楊衛寧も死ぬ.
この時のこの娘の絶望と決意は想像を絶するのだが、映画は真に迫っている.
たったひとりの人間が、人類を裏切ったのである.
この映画の白眉は、パナマ運河で地球三体協会(ETO)のタンカーが、汪淼のナノワイヤーで寸断されるシーンだろうが、
私から見れば、葉文潔が宇宙へ向けて送信ボタンを押すシーンは圧巻である.

原作はツッコミどころ満載だ.
三体人の住む惑星には3つの太陽があり、いわゆる「物理の三体問題」で軌道が安定せず、三体人は絶滅と再生を繰り返している.
彼らは、新たに居住可能な惑星を探していて、まさに葉文潔の発した電波によって地球を発見する.
三体人は、地球を占領するために千隻の宇宙艦隊を送り出す.
艦隊が到着するまで450年.
彼らにとって人類は虫ケラ同然である.
三体人は地球人の反撃を抑えるために、
智子(ソフォン)と呼ぶ素粒子を利用して地球の情報をリアルタイムで収集し、物理実験に影響を与える.
ソフォンは、特定の人間の視野に数字を描き出し、複数の衛星を囲む巨大な傘を使って宇宙背景放射のデータを改竄することさえやってのける.
光や電波で4年かかる距離も、ソフォンは量子のエンタングル効果を使って、即時に情報を得られるのだ.
こんな超科学技術を持った異星人が、なんだか回りくどいことをしている.
辻褄の合わない実験結果が出たら、科学者は発奮こそすれ、自殺する者などいないだろう.
私なら、ソフォンを使って、地球上で働くICチップを故障させる.
それが1万個に1個でも、電子機器が信頼できなければ、地球上の技術は1世紀前に戻ってしまう.
あるいは太陽フレアを恒常的に活性化して、地球上の電波通信を無効にする.
あるいはオゾン層を破壊すれば、紫外線で生物は絶滅する・・

映画の展開はゆっくりしているが、映像はしっかりしていて見応えがある.
「ジャオゥー」ゴジラの咆哮を低くしたような、不安な音楽が聞こえる.
第21話になってやっと「エイリアン」の話が出てくるのだが、この地球上で、とてつもなく巨大な何かが起こっているという不安の描写は見事だ.
何より、葉文潔が背負ったとてつもない闇.
彼女の一人娘楊冬(ヤン・ドン)は科学者だったが、「科学は存在しない」という遺書を残して死ぬ.
それは、ソフォンによる実験妨害が原因というより、
楊冬は、母親のパソコンで秘密のファイルを読み、三体人を呼び寄せたのが他ならぬ母だったことを知ったのだ.
彼女は、父を殺したのは母であるということまでは、知らなかったろう.
この話、とうていSFではない.

宇宙人が攻めてくるという時、地球人は一丸となってそれに対抗する、わけではない、というのがおもしろい.
地球外生命が存在し、しかもはるかに高度な文明を持っていると知った時、地球人は、それを神のような存在とみなすのである.
人類は滅亡したほうが地球のためになるとか、神にすがって助けてもらう、という人々が現れる.
「科学境界」の中にもそれらの分派があり、この映画の大半は、宇宙人抜きで、これら分派とADCとの戦いを描いている.
葉文潔には思いもよらぬこと、分派はやがて、地球三体協会(ETO)という過激組織に変貌する.
ETOは、絶滅する動物を守るために人類は抹殺したほうがよいと考えるが、これは皮肉なことに、三体星人が生き残るために地球人類を絶滅させる、という発想と同じだ.

SFとはいえ、現代中国の話だ.
映像に現れる都市は、巨大で洗練されており、史強が乗っているのはVWの高級車である.
汪淼の住んでいるのは高層マンションで、どこから見てもここは「先進国」である.
怒鳴っているような中国語だけは同じだが、私が ウォン・カーウァイ ジャ・ジャンクーの映画で見た中国の景色とは、まったく違う.

葉文潔は、強制労働の地で、知人に借りたレイチェル・カーソンの『沈黙の春』を読んでいた.
そのことで、政治的な追求を受けることになる.
この書は、アメリカで、初めて殺虫剤が自然に与える害を訴えた本であり、いわば資本主義の弊害を追求したものだ.
まさに「造反有利」なのだが、なぜこの書が当時の中国で「禁書」になるのだろう.
革命の味方か資本主義の同調者か、というのではない.
要するに「真実」を追求してはならない、というのが当時のテーゼだったのか.
しからば科学など発展しようがない.
私はこの事が、三体星人の実験妨害工作と重なってみえる.
つまり三体星人は、文化大革命を実行しようとしたのである.
壮大な思考の退行、人間の虫ケラ化.

この宇宙には、三体星人を含めて多くの知的生命が存在しており、彼らは、息をひそめて、他の星の生命体から見つからないように生きている.
見つかれば、あっという間に殲滅されるというのが、宇宙のルールだという.
著者はそのわけを説明しているが、私にはよくわからなかった.
それが、この小説2,3巻「黒暗森林」の話.
要するに「かくれんぼゲーム」なのだ.
「見つかったら終わり」というのは、トッププレデターを除く、地球上のすべての動物にとって、最も重要なルールだが、
捕食する対象を殲滅してしまったら、困るのは捕食者である.
星を丸ごと全滅させるというこのルールは、生物が決めたものではないだろうと、私は思う.

俄然SFらしいのは小説4,5巻「死神永生」だ.
多次元のひも理論で、11次元から宇宙そのものが次々と次元を閉じてビッグバンに戻るという、とんでもない発想をしている.
三体星人が地球を侵略するなんぞという話をはるかに越えて、三体星は壊滅し、太陽系そのものも消滅する.
この小説を読みはじめた時、私は「 われらはレギオン 1〜3」を思い出した.
話の展開が、明らかに映像優先なのだ.
CG/VFX満載の映画にしたら評判になるだろう.
だからこそ、宇宙船がほとんど登場しないこの第一巻の映画の魅力は、たいしたものだと思う.

いくら何でも宇宙人が攻めて来るまでに450年、は長い.
小説では、登場人物が人工冬眠をすることで時間を飛び越える、という奇策を用いている.
しかし、未来に蘇生した史強は精彩を欠いている.
実は、小説に登場する人物たちは、三体人を含めてあまり魅力がない.
現代科学技術の最先端は、量子コンピュータ、人工知能、ロボット、IPS細胞、どれをとってもSFの領域を越えている、と私には思える.
一方のSF小説は、子供が最新のおもちゃで遊んでいるような、能天気な世界観がつきまとう.
この小説も例外ではない.
映画は、小説「三体」の改編、と記されている.
単に原作に肉付けしただけではない、人物そのものをまっとうに描いている.
ADCのトップである常偉思と史強とのやりとりには、ジワっとしたユーモアさえ感じる.
脚本:田良良/陳晨、監督:楊磊の力量だと思う.

この作品には、世界の命運を握っている一人の人間、というのが繰り返し出てくる.
侵略されると警告されたにも関わらず、地球文明の存在を三体人に知らせた葉文潔.
その後、三体人と闘う地球人は、
面壁者・羅輯(ルオ・ジー)
執剣者・程心(チェン・シン)
脳を三体世界に送り込まれた・雲天明(ユン・ティエンミン)
これらの人物は、誰もがハリウッド映画のヒーローとは全く違う.
羅輯はあたかも修行を積むダルマ大師のようだ.
驚くべきは、この数千年に及ぶ宇宙の物語が、ハッピーエンドではない、ということだ.
第一巻目の登場人物たちの苦悩は、いったい何だったのか.

時々画面に「蟻」が出てくる.
平面上のアリは、3次元の上空から見る人間の世界を認識できない.
「科学境界」では、「七面鳥と農場主」という理論が語られる.
農場の七面鳥は、与えられた環境が全てと考えているので、農場主の存在も意図も全く理解できない.
これは虫ケラと高度な科学技術をもった者の例えであり、地球人と三体星人の比較でもある.
しかし、七面鳥は生きて人間に食べられて死ぬだけだが、人間もまた、生きて七面鳥を食べてやがて死ぬのである.
何の違いがあるのか、と私は思う.
このテーゼはつまるところ、超高度な科学技術は神わざのようにみえる、というだけのことである.
著者が意図していたかどうか、この小説の終盤になって、私は、三体星人の虚無と絶望を感じる.
けだしそれは、葉文潔が背負ったものと同じではないのか.
なぜこんな世に生を受けたのか.

史強も、蟻も、そんな事を意に介さないだろう.
オレの知ったことか!、と



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