錆びたナイフ

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2016年5月17日
[映画]

「花様年華」 2000 ウォン・カーウァイ

「花様年華」


「かようねんか」、英題は In The Mood For Love.
1960年代の香港を舞台にした作品.
古い街並み、狭いアパート、匂い立つ様な映像とアンニュイな音楽が、独特の雰囲気をただよわせる.
チャウ(トニー・レオン)とチャン(マギー・チャン)は、同じ日にアパートの隣り合った部屋に引っ越してくる.
このアパートは廊下の先に共用の食堂があって、そこに大家の家族がいるので、人の出入りは筒抜けだ.
日本もこんなふうだった、半世紀前の、雑然として混みあった庶民の生活.
マギー・チャンの古風な顔立ちは、高峰三枝子、桑野みゆき、吉永小百合、昔の女優を思い出させる.
トニー・レオンは佐田啓二とか往年の石坂浩二とか、懐かしい男優の風貌をしている.

画面がふっと暗転して、次のシーンで話が飛んでいる.
台詞が違う同じシチュエーションが繰り返されたりする.
一回見ただけでは、話の筋が分からない.
隣同士で暮らす二組の夫婦の、一方の夫と一方の妻が愛人関係にあるという、ビリー・ワイルダーが喜劇にしそうな話である.
浮気をしているチャウの妻とチャンの夫は、後ろ姿でしか登場しない.
後ろ姿の夫はいつも出張中で、後ろ姿の妻はいつも誰かと電話している.
チャウとチャンは、連れ合いの不実を知って苦しみながら、お互いを意識する.
傷ついたこの二人が、相愛になるのかというと、そうでもない.
チャウの部屋に来たチャンが、大家の来客が食堂にいるので部屋から出られず、部屋で一晩過ごす.
それで一線を越えたかというと、そうではない、らしい.
チャウが新聞小説を書くのを、チャンが手伝っているのだが、二人は噂になるのを気にしている.

ナットキング・コールの「キサス・キサス」が流れるレストランで、二人がステーキを注文する.
男が女の皿にカラシを盛ると、女は、奥様は辛い物好きね、と言ってカラシをつけた肉をモクモク食べる.
この二人はお互いに、相手の妻や夫の身代わりになろうとしているようにみえる.
チャンが、チャウに、「外に女の人がいるの?」と尋ねる不思議なシーンがある.
「いるよ」と言われて、しばらく間があって「こんなに傷つくとは」と、チャンが泣き出す.
チャウを夫に見立てて「リハーサル」をしているらしいのだが、チャンにとって、チャウに妻がいること、そしてチャウに自分という女がいることが、二重にみえているのだ.
このかりそめの追及劇は、チャンの気持ちを揺するが、チャウはそれに気づかない.
アイシテイルという台詞も、キスシーンもない.
行き場のないこの二人を追いながら、映像の印象が限りなくエロチックなのは、二人の気持ちのずれが、ひとつの愛のかたちにみえるからだ.

女を振り切るように、チャウは海外に転任する.
一度、転任先のホテルにチャンがやって来るが、チャウに会うことはなかった.
どこかに一途な想いを抱えたこのヒロインは、目の前にいるのに、男たちには、どうしてもつかめない.
四年後にチャウが昔のアパートを訪ねた時、今は子供と二人で暮らすチャンと行き違いになる.
二人はその後も逢うことはなかった.
私は「シェルブールの雨傘」を思い出した.

冒頭の字幕は、
「女は男に自分に近づくチャンスを与えたが、男は勇気を出せず、女は去っていった」
最後の字幕は、
「過ぎ去った歳月は、ガラスを隔てたかのよう、見えてもつかめない
 彼は過去を思い返し続けた
 あの時、そのガラスを割る勇気があれば、失った歳月を、取り戻せただろう」
「あの時」とはいつのことだろう.
やるせないのは男でも女でもなく、すれ違い、過ぎ去ってゆく「関係」なのだ.
チャウがカンボジアの神殿廃墟で、壁に封印した秘密は、愛という名の「歳月」である.
哀愁を帯びたマイケル・ガラッソのテーマ曲がいい.


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