錆びたナイフ

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2019年8月23日
[本]

「われらはレギオン 1〜3」 デニス・E・テイラー


「われらはレギオン 1〜3」


23歳で死んだボブが、コンピュータ上の複製人(レプリカント)として目覚めたのは117年後.
地球上では、複数の軍事大国同士がいがみあっていた.
ボブは、人類が居住可能な惑星を探索する宇宙船に組み込まれ、"ひとり"で宇宙へ飛び出す.

レプリカント・ボブは、生前のボブの脳内活動をそのままコンピュータ上に再現した、ということになっている.
通信でつながったカメラや動き回る小型ロボットが、ボブの目や手足に相当する.
すると、宇宙船全体がボブの身体感覚になると思うのだが、物語の中のボブは、コンピュータ内のVR(仮想現実空間)に自分の部屋と身体を再現して、その外側に現実世界がある、ということにしている.
つまり映画『マトリックス』の世界である.
他の兄弟ボブたちとの通信は、このVRの中に相手が現れて互いに話をする、ということになる.
物語が進むとボブは『アバター』のように、自分のアンドロイドを作って、現実世界の中で暮らすことまでできるようになる.
人間社会でも異星人社会でも、ボブのアンドロイドは単なる出先機関で、その背後にボブ本体を含む強大な情報網と武力を持っている.
『ブレードランナー』のような、レプリカントが自分が何者であるかに苦悩する、という話はなくて、ボブは元気はつらつだ.

たとえアンドロイドが破壊されても、宇宙船内にあるボブ本体のコンピュータの電源が切れなければ、彼は死なない.
いや、たとえコンピュータが破壊されても、バックアップデータがあれば、ボブは復活する.
彼は不死というだけではない、データをコピーすれば、複数のボブを生みだすことさえできる.
そうして生みだされたボブは微妙に性格が異なる、というところがこの物語のミソ.
コピーして枝分かれするたびに、新たな経験を積み重ねるが、オリジナルのボブの記憶は全員に共通ということになる.
こんな「兄弟」が500人もいたら、楽しいというより不気味ではないだろうか・・
ついでにいうと、ボブはコンピュータそのものではないので、情報を「読む」という「行為」をしないと、それを理解できない.
ボブは眠らないが、コンピュータの「フレームレート」を自分で増減することで、処理能力をを早めたり、のんびりしたりすることができる.
『サイボーグ009』の加速スイッチみたいなもので、これは便利だとおもう.

道具立てとして「亜空間無反動重力走性模倣機関」「亜空間ひずみ検出測距」「原子ひとつひとつからほとんどなんでもつくれる3Dプリンター」「小惑星からの採鉱専用につくられた移動機(ローマー)とナノマシン」・・
つまり、原材料があれば何でも作れる.
惑星で鉱物を採掘し「製品を作る工場」も「工場を作る工場」も作ることができる.
ただし生物が作り出したもの、例えば食料は「3Dプリンター」で製造するのに時間がかかる、ということになっている.
実際は、惑星の環境を改造する「テラフォーミング」さえできるのだから、人間の食料に困ることはない.
そして宇宙船は「核融合エネルギー」で動いているので、何処へでもいける.
SF少年にとって、これほどワクワクする設定はないだろう.

ボブは兄弟たちを増やしながら植民惑星を探し回り、知的生命にも出会うが、彼らはたいがい人類より遅れている.
ボブは、デルタ星に住む原住民の若者に入れ込んで、そこの生態系に干渉し、デルタ人に文明を与えようとする.
『2001年宇宙の旅』のモノリスのように.
この作者の異性生物は、どれもイメージが貧相でつまらない.

植民惑星の候補を見つけて、ボブのひとりが地球に戻ってくる.
人間は戦争の挙句、巨大隕石を相手国に落とすという暴挙で、地球は壊滅的な打撃を受けて居住できなくなる寸前にある.
生き残った人類は1,500万人.
半径40光年の宇宙に散らばった500人ものボブたちが、協力して人類を救う.

話の展開は要するに『スタートレック』シリーズで、宇宙のどこにも悪者がいるし、未知の生物たちとも英語で話しができる.
宇宙での「敵」は、ボブをつけねらうブラジル帝国のレプリカント・メディロス少佐.
それに「アザーズ」とよばれる知的生物は凶悪で、圧倒的物量の兵器で、他惑星の生物を食料として皆殺しにし、鉱物を洗いざらいかっさらっていく.
地球も狙われている.
その上、地球上に生き残った人類もお互いに反目しているし、人類を皆殺しにするという「環境」テロリストばかりか、入植先で独裁国家を作ろうとする人間までいる.
100年後の人間は、巨大隕石を動かすほどの技術をもちながら、言動は幼稚園児並み、というのがこの書に登場する人々なのだが、昨今の世界情勢をみると、あながちありえないことではない、という気がする.

ボブは「正義と民主主義」を標榜する「救い主」だが、時に断固として、邪悪なやからを抹殺する.
思い知ったか!とばかりの鉄槌に、読者はスカっとするかもしれないが、
この、健全な頑迷さとでも呼ぶほかない凶暴ぶりは、キリストの父を思いださせる.
私には高校生くらいにしか思えないSFオタクの若者が、強大なチカラをもって人類の前に現れたら、これほど薄気味悪い話はないだろう.
逆に、この主人公のめげない正義感が、この作品の魅力だといえばそのとおりである.

要するに、天地創造ゲームであり『アルゴ探検隊』の宇宙版なのである.
あらゆるSFガジェットを満載して話はあちこちの惑星に飛び、半世紀にも及ぶ長い話なのだが、読み終わるのは早かった.
往年のSFやミステリー本のたぐいはたくさん読んだが、90年代頃から分厚い作品が多くなった.
イメージ描写ばかりが過剰で、映画にすればおもしろいかもしれないが、小説としてはつまらない.
映画化権を狙っているのか、作者の頭の中が映画だらけなのか.

ボブのコンピュータはニューロン・シュミレーター・アプリを動かしているだけで、シュミレーター上のボブの意識には干渉しない.
ボブは自由に考えることができる.
一方で、宇宙船内外との通信やコンピュータ内のデータは、それらを適切な電気信号に置き換えて、ボブの五感を処理する部位や運動を処理する部位のニューロンに、「感覚」として与えてやらねばならない.
それをしているのはコンピュータである.
ボブは自分の好みでVRを構築し、その中で兄弟たちと野球までできる.
それは、ボブが自分の意思でコンピュータにアクセスして、自分の五感と運動を制御できる、ということを意味する.
人間でいえば、そう意図すれば、自分で心臓を止めることもできる、ということである.
これは、「意識」が「無意識」を制御できるということだ.
これができるという生身の人間は、修験僧か狂人である.

人間の脳内に一千億個あると言われる全ニューロンの状態をスキャンして、コンピュータのニューロン・アプリにコピペする.
カメラとマイクとスピーカーを、それぞれ目と耳と声の代わりに接続すれば、元の人間が復活すると、この物語では考えている.
生前のボブは、その身体とともに23年間生きてきた.
コンピュータ上に再現されたボブの脳は、目覚めた瞬間にその身体を確かめようとするだろう.
目を開き、耳をすまし、起き上がり、手足を動かそうとするだろう.
起き上がった時、歩いた時、首を回した時、視界がどのように変化するか、脳はよく知っている.
発音した声が自分の耳にどう響くか、心臓の鼓動が気持ちによってどう変化するか、呼吸が運動のどのタイミングでなされるか.
レプリカントボブは元来の身体を持たないが、彼の脳は、それがあるかのようにしか振る舞えない.
脳は、「意識」がある限り、かつてあったそれらを今の機械身体の中に探し求め、ボブの意思とは無関係に、身体性の根拠を脳内に作り出すだろう.
ボブの脳は、自分の五感が信じられないと叫び、幻覚や幻聴や、あるはずのないものがあらわれる.
明確な身体性が確立できないということは、自分と外部の区別ができないということだ.
この物語は、そのまま重篤な「精神病」の根拠である.
存在しない手足の代わりに、兄弟ボブたちがあらわれ.
存在しないペニスの代わりに、メディロス少佐の宇宙船があらわれ.
存在しない心臓の代わりに「デルタ人」があらわれ.
存在しない食欲の代わりに「アザーズ」があらわれ.
存在しない呼吸の代わりに、ボブの宇宙が生まれた.
ボブは宇宙に飛び出したのではなく、今だに地球の研究所の青いコンピュータの中にいる.
と、私は妄想してしまう.


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