錆びたナイフ

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2021年2月6日
[本]

「フライデーあるいは太平洋の冥界」 トゥルニエ
「黄金探索者」 ル・クレジオ


「「フライデーあるいは太平洋の冥界」 / 「黄金探索者」」



「フライデー・・」は、船が難破して無人島で一人暮らす男、つまり「ロビンソン・クルーソー」のリメイク話である.
この設定は、いたく現代人の想像を刺激するらしい.
そしてこの書の真髄は、島にもうひとりの人間が現れるところにある.

主人公は英国人のロビンソン.
初めはひたすら救助を待っていたロビンソンは、気を取り直し、座礁した船から、
ビスケット、望遠鏡、マスケット銃、二連ピストル、鉞(まさかり)、手斧、槌、麻屑一包、布地、大量の板、聖書、四十樽の黒色火薬等を、島に持ち込む.
ロビンソンは、その後も各種「アイテム」を手に入れ、結局無くて困ったのは「釘」と「インク」ぐらいのものである.
これだけあれば、何でもできる.
もちろん、水と食べ物は島にいくらでもあるし、猛獣はいない.
彼はこの島を「スペランザ(希望)島」と名づける.
ロビンソンは島を探検し、地図を作り、洞窟に城塞を築き、山羊を飼い、畑をつくり、麦を育て、パンを焼く.
水時計を作り、規則正しい生活をする.
あろうことか、憲法や刑法を制定する.
『憲章第一条 ・・ロビンソン・クルーソーは、・・スペランザ島の総督に任命されたり』
『憲章第三条 あらかじめ決められている場所以外で用を足すことを禁ず』
『刑法第一条 憲章違反は二つの罰、つまり数日間の断食と数日間の土牢監禁を課されるべきである』
この英国人が真剣にしようとしていることが笑い話だとしたら、英国国家がしている事もまた笑い話なのである.

この小説は、三人称の地の文とロビンソンの日記で綴られていて、類を見ないほど面白い.
話はサバイバルゲームではない.
ロビンソンは、建設的であろうとする一方で、なにもかもほうたらかし、裸で泥の中をころげまわりたいという欲望にかられる.
彼はそれを、島という大地、つまり母との、ある種の交接だととらえている.
同時に、それは反道徳的で人間にもとる行為だとも考えている.
文明人あるいは西洋人というニンゲン、あるいはキリスト教という道徳メカニズムの摩訶不思議さよ.
事件が起きる.
突然島にやってきたインディオたちから、ロビンソンは偶然、ひとりの若者を救い出す.
ロビンソンはこの男を「フライデー」と名付けて「召使い」にする.
『かなり理解しがたい神意の御業によって、人間のうちでももっとも低級なやつを選び給うたのだ。』
文明人の名において、「野蛮人」であるフライデーを「教化」しようとするロビンソン.
彼の目論見はことごとく失敗する.
この召使いは、ご主人の言うことは聞くが、言われたことには何の興味もないのだ.
ロビンソンは、船から運び込んだ金貨を持っていて、それを給金としてフライデーに与えることを決める.
さらに5.5%の金利で、ロビンソンがそれを預かるということにする.
フライデーから見れば、ロビンソンの考えほうが奇妙キテレツなのである.
しまいにロビンソンは、穴を掘ってまた埋めるという「罰」をフライデーに与える.
しかしフライデーは、犬のテンと一緒に、その仕事に一種の歓喜を覚えたらしい‥
ロビンソンの苦悩の根源を、フライデーが露わにしてゆく.
島の秩序は、しだいに「乱れて」ゆく‥
いや、島も人間も結局、自然に返ってゆく‥

8年前に、アマゾン奥地の少数民族を描いた本を読んだ.
ピダハン」ダニエル・L・エヴェレット
曰く『ピダハンには、挨拶の言葉がない、数を表す言葉がない、右と左もない、色の名前もない、酋長もシャーマンもいない.
 ピダハンは食料を保存しない、その日より先の計画は立てない、遠い将来や昔のことは話さない』
これこそフライデーそのものである.

ロビンソンに隠れてタバコを吸っていたフライデー.
その火が火薬に移って、ロビンソンの倉庫、書斎、祭壇であった洞窟が吹き飛ぶ.
ロビンソンの心の中でも、なにかが吹き飛んだ.
文明が未開に勝る、というのでも、未開人が文明に勝る知恵を持っている、というのでもない.
この書は、徹底的に、どんづまりの西洋人を描いている.
遭難して28年、島にイギリス船が現れる.
フライデーはさっさと乗り込むが、ロビンソンは、島に残る決断をする.
これがオチ、である.
私なら、ロビンソンはその船でロンドンに戻り、その余生を亡霊のように生きた、とするだろう.

私は、今村昌平の映画「神々の深き欲望」(1968) を思い出した.
南の島が持っている、根源的な生命力が、人間の存在そのものを揺さぶる.

「黄金探索者」は、「ぼく」アレクシが、父親が残した地図に描かれた海賊の財宝を探すという物語.
『思い出すかぎり遠い昔から、ぼくは海の音を聞いてきた。』
冒険小説ではない.
失った何かを求める若者の旅は、熱のある夢のようで、私のような老人の魂に響く.
私には、ロビンソンより、この作品の方がはるかに印象深かった.
クレジオは、以前に「 悪魔祓い」という本を読んだ.
この作者は、西欧風ではない、独自の世界観をもっている.

インド洋のモーリシャス島で暮らす、ぼくと父と母(マム)と姉(ローム).
サイクロンで家が壊れ、さらに父親の事業が失敗して、一家は破産する.
家を失い、海から遠く離れた町で暮らす「ぼく」は、海と星と海賊のことばかり考えている.
幼い頃の、かけがえのない家族と、海と星空とサトウキビ畑の記憶が、少年を突き動かす.
やがて、港で、ゼータ号という帆船に出会う.
アレクシは18歳、船長と懇意になり、その船で海賊の財宝の島、ロドリゲス島へ向かう.
船旅の描写は見事で、潮の匂いと、強烈な日差しを感じる.
ロドリゲス島にたどり着いた主人公は、熱心に海賊の宝を探す.
要するに、地図をたよりに島の谷をあちこち掘り返す.
そして、山から来た素足の娘ウーマに出会う.

『「名前は何というの?」
 ほとんど訊く気もなしにそう尋ねた。すぐに山のなかに消えてしまうこのふしぎな娘のことを、少しは知っておきたいと思ったからだろう。
 まるで何か別のことを考えているような黒く深い目で、ぼくを見つめる。そしてとうとう答える。
「ウーマです」
 娘は立ち上がり、魚を結びつけた蔓と結を手に取って行ってしまう。
 雨脚が弱まったせせらぎ伝いに、早足で歩いていく。そのしなやかなシルエットが、子ヤギのように岩から岩へ跳ねていくのが見える。
 やがて藪のなかに消えてしまった。』
ウーマには魅力がある.
野生的で可愛らしいというのではない.
姉のロームもそうだが、そのくっきりとした生き様と、人との関係のありようが、凛(りん)としているのだ.
彼らはフランス語を喋るが、フランス人というわけではない.
この少女たちに魅力は、イギリス人のロビンソンにはわからないだろう.
ウーマは、アレクシの宝探しに何の興味もないが、アレクシが本当に探しているものが何であるか、知っている.
それは、ロームも同じだ.
アレクシが、谷のあちこちを掘り返して描いているのは、地上の星座であり、父との思い出なのだ.

脱走奴隷だというウーマ、貧困の中で故郷の母の面倒を見るローム、遠い島で宝探しをするアレクシ.
人間の衣食住にまつわるルールから背伸びをすると、まるで白昼夢のような世界がみえる.
それこそが、生きることなのだ.
第一次世界大戦をはさんで、アレクシが故郷の島を出てから12年後まで、話は続く.
主人公が結婚して家を持ってそこに帰って来る、というような話ではない.
愛しい人々が、玉突きのように、手の届かないところへ弾ける.
星は、あそこに見えているのに、決して手が届かないように.
この切なさは比類がない.

アレクシが夢見るアルゴ船は、ギリシャ神話に登場する勇者を乗せた船だ.
ここではない何処かへ旅に出る、というアレクシの思いは、子供時代への回帰と重なっている.
「島」とは、ここから何処へも行けない、同時に、何処へも行かなくてよい、という場所なのだ.

「国家は、領土と国民と主権とで成立する」と、私は習った.
「主権」とは、他国と戦争をするチカラのことである.
ロビンソンのような人間がいれば、国家は成立する.
一方、フライデーがいくらいても、国家は成立しない.
さらに、アレクシとロームとウーマの関係、つまり家族や男女の中から「国家」は生まれない.
国家は、あくまで個人の頭の中から生まれる.

この本、よくまぁこの2作品を選んだと思う.
命は、忍従でも秩序でも節約でもない.
命は「エコロジー」でもないし「持続可能」でもない.
命は「焼尽」なのだ.


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