錆びたナイフ

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2020年12月14日
[映画]

「47RONIN」 2013 カール・リンシュ


「47RONIN」



「47ろうにん」とは「四十七士」か!
なんとキアヌ・リーブスが参加する「忠臣蔵」である.
トム・クルーズの「ラスト サムライ」(2003)に刺激されたのか、キアヌの太刀さばきも見事!
浅野内匠頭(たくみのかみ)、田中泯
吉良上野介(こうずけのすけ)、浅野忠信
大石内蔵助(くらのすけ)、真田広之
あはは、面白そう.
日本の時代劇としては、あちこち「妙」なところがあるのだが、
冒頭、赤穂の森の怪物退治のように、
300年前の「東アジア」を舞台にしたファンタジーとみれば、面白い.

主人公のカイ・魁(キアヌ・リーヴス)は、外国船の船員と貧しい日本の女の間に生まれ、母親に捨てられ、天狗に拾われて育てられ、そこを逃げ出したところを内匠頭に救われる.
彼は武士以下の身分として蔑まれるが、内匠頭の娘ミカ(柴咲コウ)に慕われ、この父娘に恩義を感じている.
話の登場人物は「忠臣蔵」のままで、隣国の上野介が、赤穂の領地を奪うために、妖怪ミヅキ(菊地凛子)を使って内匠頭をあやつる.
将軍を招いた赤穂城内で刃傷沙汰が起こり、内匠頭は切腹、赤穂藩は断絶、家臣は追放、そのうえ吉良は、ミカとの結婚をせまる.
浪人になった内蔵助とその仲間たちは、吉良への復讐を誓う.

一年の喪があけて、吉良とミカの祝言の当日、
カイを含む47名の浪人たちは、吉良の城へ潜入し、大石は吉良を討ち取り、カイはミヅキを倒す.
本懐を遂げたあと、四十七士は、徳川将軍から「名誉の切腹」を仰せつかる.
復讐を禁じた将軍の意にそむいたという罪である.

この映画はなんだか中国風で、冠をかぶり笏(しゃく)を持って現れる将軍(徳川綱吉か?)(ケイリー=ヒロユキ・タガワ)にがっかりする.
まるで聖徳太子か閻魔大王である.
山あいに建てられた吉良の城は不気味で、一方の赤穂城は壮大な箱庭を思わせる.
この映画、ダークファンタジー・ゲームでもみているようで、言ってみれば、その違和感がおもしろい.
将軍や大名、その家臣、武士、それ以下であった御庭番とか使用人の身分差は、距離の取り方、立ち位置、言葉使い、お辞儀の仕方に現れる.
お辞儀は、目礼、点頭、腰を折る、膝をつく、平伏する、状況に応じて変わる.
所詮、私が長年見てきた時代劇映画を基準にしているに過ぎないのだろうが、それがこの映画では、どうにも不自然に見える.
カイと彼に対する周囲の人々の、お辞儀の仕方が、微妙にへんなのである.
まるで「異人」をどう扱っていいかわからないとでもいうように…
それが実は、この話の中で、カイのふっ切れなさとか、自信の無さにつながっている.
この映画の中心人物は、どうみても大石内蔵助、というより真田広之で、その立居振る舞いは文句なく決まっている.
アメリカ映画でいえば、浪人たちを率いるこのリーダーこそ主人公である.
キアヌ・リーブスは、昔でいう「醤油顔」で、寡黙な武士を演じたらわるくないと思う.
しかしこの作品では、なんだか元気がない.
身分の違いなど無視して、この男は、自由にふるまえばいいのにと思ってしまう.

「四谷怪談」にまで話が広がった「忠臣蔵」は、その史実にあらゆる尾ひれがついている.
日本人の骨肉と化した物語といわれるが、主君の恨みを家臣が果たす、というのが、私にはよくわからない.
文字通りの忠義や武士道は表向きで、物語そのものは、当時のコマーシャリズムにのった広範なパフォーマンスに裏打ちされている.
「義理と人情を秤にかけりゃ」というのは、「社会秩序」と「人間の愛憎」が矛盾して相剋するという、ファンタジーである.
かれら男たちは、決して「社会」と闘おうとはしない.
それに徹底的に従うことで、「秩序」の側がひっくりかえるのだ.
太平の時代に主君への忠義を貫いたという物語は、西欧の騎士道に通じるというより、ドンキホーテの戯画と背中合わせである.
目的を遂げた彼らが、なぜその後に死を選ぶのか、切腹がなぜ名誉なのか、カイはわかっていたのだろうか.
この国の「社会秩序」は、カイの存在を否定するだけだったではないか.
志士たちは最後に彼を同志と認めるが、それが彼の望みだったのか?

だから、カイを含めた四十七士が、将軍の前で集団切腹するシーンなど、どうにも居心地が悪い.
ああ、だからやめたほうがいい.
『私は千の来世を旅し、万の生を得ても、生まれ変わるたび、あたなを探す』
と、カイはミカに誓ったが、
そんなトンマなことは言わずに、サムライの意地も武士道もほうたらかして、二人でさっさと日本を出奔したらいいのに、と思う.
サムライたちがみな英語を喋る時代劇を観ていると、不思議にそういう気分になる.

『忠義と正義のために、死をも恐れなかった、四十七士の物語は
 名誉と忠義を尊ぶ、日本人の魂の物語として、今も語り継がれている』
表向きはサムライを描きながら、「忠臣蔵」は、元禄庶民たちの下世話な興味と熱狂に満ちあふれている.
当時からすでに、武士道そのものがファンタジーだったのだ.


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