錆びたナイフ

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2013年6月27日
[本]

「ピダハン」 ダニエル・L・エヴェレット

130627


アマゾン奥地の少数民族ピダハンの村で暮らす著者は言語学者だが、目的はキリスト教の伝道だった.
「彼らに無意味な生き方をやめ目的のある生き方を選ぶ機会を、死よりも命を選ぶ機会を、絶望と恐怖ではなく、喜びと信仰に満ちた人生を選ぶ機会を、地獄でなく天国を選ぶ機会を、提供しにきたつもりだった。」
しかしピダハンは「おまえがここに来たのは、ここが美しい土地だからだ。水はきれいで、うまいものがある。ピダハンはいい人間だ」と言う.

ピダハンには、挨拶の言葉がない、数を表す言葉がない、右と左もない、色の名前もない、酋長もシャーマンもいない.
「ピダハンは食料を保存しない。その日より先の計画は立てない。遠い将来や昔のことは話さない。」
彼らは、川を上って来る交易商人と物々交換をするが、どうしても必要というのではないらしい.
そもそも数をかぞえない、食料を保存しない、ということは、余剰も交換もない、すなわち経済がない、ということである.
それは、ひたすら命を節約する(死を遠ざける)という発想がない、ことでもある.
ピダハンは直接体験したことしか語らない、だから創世神話がない.
子供は大人と同等に扱われ、赤ちゃん言葉はない.
文化はどうやって伝えられ、夢や無意識はどこへ行くのか?・・
だから夢は、現実と同等に、そこにあるのだ.
著者には見えない密林の精霊が、彼らにはみえるように.

男も女も子供もピダハンが「働く」のは、一日にすると数時間で、あとは村の中でお喋りをしてよく笑う.
アマゾンの密林が天国のように豊かで幸せな土地かと言えば、そういうことではない.
大人も子供もまず、この土地で生き抜く力がなければ、そのまま死ぬ.
その上で、ピダハンの生活は、子供のように単純な自足に満ちている.
著者は言う、「ピダハンにとって真実とは、魚を獲ること、カヌーを漕ぐこと、子どもたちと笑い合うこと、兄弟を愛すること、マラリアで死ぬことだ。」
「ピダハンは、自分たちの生存にとって有用なものを選び取り、文化を築いてきた。自分たちが知らないことは心配しないし、心配できるとも考えず、あるいは未知のことをすべて知り得るとも思わない。その延長で、彼らは他者の知識や回答を欲しがらない。」

この本は、たくさんのテーマを満載している.
著者は妻と子供3人の家族でピタハンと暮らす.
カボクロと呼ばれる現地ブラジル人の生活をみる.
ピダハンの生活を知る.
ピダハンの言語を解析する.
著者のピダハン語論文が言語学会に嵐を巻き起こす.
どれもドキュメンタリーとして、一冊の本が書けるほどの内容である.
著者にとって最も肝心だったのが、著者を無神論者に「改宗」させるほどの衝撃を与えた、ピダハンの生き方だ.
しかし、ミイラ取りがミイラになった著者の心の変化は、実は、私にはよくわからなかった.
著者はついに密林の悪霊と精霊を見たのだろうか.

「救いの前に彼らを迷わせなければならない」と著者の福音学の恩師は言う.
しかしピダハンは、林檎を食べる以前のアダムとイブたちですらなく、誰にも束縛されず、大空を舞う鷲と地をはう蛇のように生きている.
我々は「Facebook」で「友達の友達」が今どこにいて何を食べたか知っている.
ピダハンは笑うだろうが、それが我々の精霊(か悪霊)だ.
ピダハンの居留地を作ろうという著者たちの努力に関わらず、我々は少数民族もその言語もやがて滅ぼしてしまうだろう.
それは、ある人種が絶滅するというのではなく、我々にピダハンの精霊が見えないように、やがて我々からピダハンが見えなくなり、
彼らは、我々の神話になる.


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