錆びたナイフ

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2025年8月27日
[本]

「枕草子のたくらみ」山本淳子


「枕草子のたくらみ」



『春は、あけぼの。
 やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、
 紫だちたる雲の、細くたなびきたる。
 ‥
 夏は、夜。
 秋は、夕ぐれ。
 冬は、つとめて。』

おなじみの冒頭だが、千年前の原作者は早起きだったらしい.
『・・は、』という「My favorite things」がたくさん出てくる.

第三十八段『鳥は、
 郭公(ほととぎす) 水鶏(くひな) 鴨(しぎ) 都鳥 鶸(ひは) ひたき‥』

カッコウとホトトギスはちがう鳥だろ?
『鷺は、いと見目も見苦し。眼居なども、うたてよろづになつかしからねど、「ゆるぎの森にひとりは寝じと争ふ」らむ、をかし。』
サギは確かに目つきが悪い.
サギが集う森の喧騒を「ひとりは寝じと争ふ」というのが「をかし」

第四十段『虫は、
 鈴虫。茅蜩(ひぐらし)。蝶(てふ)。松虫。蟋蟀(きりぎりす)。促織(はたおり)。われから。ひを虫。螢(ほたる)‥。』

『蓑虫、いとあはれなり。
 鬼のうみたりければ、「親に似て、これも恐ろしき心あらむ」とて、親の、あやしき衣ひき着せて、
 「いま、秋風吹かむをりぞ、来むとする。待てよ」
 といひおきて、逃げていにけるも知らず、風の音をきき知りて、八月ばかりになれば、
 「ちちよ、ちちよ」
 と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。』
ミノムシは、鬼である親に捨てられ、秋になると「父よ、父よ」と鳴くのだという.

一方、『蟻は、いと憎けれど、軽びいみじうて、水の上などを、ただあゆみにあゆみありくこそ、をかしけれ。』
というのが可笑しい.
どうしてアリは水の上を歩けるのか、とは考えない.
総じて作者は自然をよく見ているが、観察しているわけではない.

最初原文を読み始めたのだが、風物に関する話はともかく、宮廷生活の世間話のようなものは、意図がよくわからない.
「枕草子のたくらみ」を読んで、ああそうか、と思った.
『「枕草子」は、他愛ない作品のようだが、底意を持っている』と著者山本はいう.
この書は、単なる感想文ではなく、意図的な皇后讃歌なのだ.

第七十七段は、作者をめぐる宮中でのとあるできごとを描写している.
『(頭中将・藤原斉信が)「蘭省花時錦帳下」と書きて、
 「末は、いかにいかに」
 とあるを、いかにかはすべからむ。
 「御前おはしまさば、御覧ぜさすべきを、これが末を、知り顔に、たどたどしき真子(まんな)書きたらむも、いとみぐるし」
 と、思ひまはすほどもなく、責めまどはせば、ただ、奥に、炭櫃(すびつ)に消え炭のあるして、
 「草の庵を誰かたづねむ」
 と書きつけて、とらせつれど、また、返りごともいはず。』

この段は人々の会話が中心で、ものの好き嫌いの話ではない.
清少納言は上司の藤原斉信(ただのぶ)から、
「蘭省の花の時、鑑帳の下」という白居易の詩の「末はいかに」と問われる.
彼女は、この詩の続きが「廬山の雨の夜、草庵の中」であることを知っているのだが、「草の庵を誰かたづねむ」という藤原公任の句を引用した返事をする.
斉信は男どもとつるんで、清少納言の才能を試したのだ.
が、この返事が見事だと、宮中で評判になる.
女子に漢文の素養があることが珍しく、同時にそれをひけらかすことがはしたないと思われていた時代である.

『「げに、あまたして、さることあらむとも知らで、ねたうもあるべかりけるかな」と、これらなむ、胸つぶれておぼえし。』
さりげなくそつなく返事を返した清少納言の、望外の勝利である.
この宮中の評判を喜び勇んで伝えに来た「兄」というのは、清少納言の元夫・橘則光で、他人からも「兄妹」と呼ばれていたというのがおもしろい.
平安時代の男女は、なかなかさばけていた.

清少納言は、一条天皇の皇后だった定子(ていし)につかえる「女房」である.
女房とは何かというと、私が思うに、おしゃべりばかりしている女性軍団である.
定子は女房たちを薫陶して「機知のサロン」を形成する.
いかに気の利いた受け答えをし、センスの良い感性を磨くか、清少納言は定子から大きな影響を受ける.
先の頭中将とのやり取りがその真骨頂といえる.
この時代は、天皇の血筋につながることが権力構造の核心であり、定子もまた、栄枯盛衰の渦にまきこまれる.
『紫式部は一条天皇と定子の純愛事件を、同時代の社会が直面した問題として真正面からとらえた、だが清少納言はそうしなかった』
紫式部は定子事件の顛末を知っていたから『清少納言こそ、したり顔にいみじう侍りける人』と批判したが、
著者に言わせれば、まさにさればこそ「枕草子」には、妃が不遇であった話は一切書いていないし、時の勢力に楯突くような記述も避けている.
「枕草子」は、定子とその世界へのオマージュなのである.

千年前の「本」が、時を越えて受け継がれるということは、幾世代も読み継がれ、写本された、ということだろう.
今でこそ重要な古典だが、例えば江戸時代の読者もまた、この書の背景と意図を理解したのだろうか.
源氏物語」はまさに物語であり、起承転結があって、人物描写もわかりやすい.
「枕草子」は、話の対象があちこちに飛び、書かれている事は宮中の些細な出来事で、さらに、文章はよくまぁと思うほど主語が省かれていて、実に読みづらい.
要するに内々の話なのだ.
しかしどのような時代でも、日々の生活を記録すれば、こんなかたちになる.
出来事の裏に隠れている作者の思いを別にしても、千年前の人間の生き様として「枕草子」はおもしろい.
ただし、私は、紫式部も清少納言も、難儀で剣呑で屈折した人間だと思う.
オトモダチにはなりたくない.
まぁいつの時代でも、作家はそんなものだ.



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