錆びたナイフ

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2014年7月21日
[本]

「源氏物語 二」 紫式部 与謝野晶子訳

「源氏物語 二」


この巻は「須磨」から「胡蝶」まで.
最初は誰とも知らず関係を持った女が、政敵である右大臣家の姫(朧月夜)で、それが発覚して京に居づらくなり、源氏は妻と子と愛人多数を残して須磨に蟄居する.
とにかく誰もかれもいつも泣いている.
栄華の果ての零落で、源氏は読経三昧、反省しているかというと、そんなことはない.
謹慎とは名ばかり、明石に住む長者の娘(明石君)を口説き落とす.
帝の信頼が厚い源氏はやがて京に呼び戻され、果ては太政大臣となり絶大な権勢を復活させる.
第一巻はまだ可愛げのあった光源氏、この巻では傍若無人、六条に御殿を建て、愛人たちを住まわせる.
明石君と生まれた娘を京に呼び寄せ、娘は自分の妻(紫の上)に育てさせる.
いまだに忘れられない亡き夕顔の娘(玉鬘)に巡り会い、自分の娘として引き取り、挙句の果てに言い寄る.
その間も源氏は、あちこちの愛人訪問を忘れない.
何しろ時の天皇(冷泉帝)は、実は先の皇后(藤壺)と源氏の間にできた子供だというのだから話はややこしい.

源氏がその愛人宅を訪う度に、紫の上は機嫌が悪い.
鴛鴦夫婦と言われる源氏の妻(の一人)紫の上は、かつて少女の頃、母に似ていると源氏が拉致して育てた女である.
「・・多忙なために家へ帰らない時の多いのを、あなたから言えば例のなかったことで、寂しく思うのももっともだけれど、ほんとうはもうあなたの不安がることは何もありませんよ。安心しておいでなさい。」
昔振られた女・朝顔に、懲りずにモーションをかけている時、夫人に言う言葉がこれである.
朝顔は、賀茂神社の斎院に卜定(ぼくじよう)された高貴な女性だが、最後は出家してしまう.
この物語は、神も仏もごちゃまぜで、見境がない.

ツンのめった少女マンガを読んでいるような気がする.
与謝野晶子訳の源氏は、東京言葉で夫人に言い訳をする.
この希代のマザコン・イケメン・セクハラ・女たらし男は、何処から来たのか?
絵葉書のような風景と建物と衣服と音楽は描写されるが、なぜか食べ物の話がない.
贅を尽くした庭の眺めは素晴らしいだろうが、
冬は寒くないのか、真夏に暑くてうだるような日はどうしていたのか.
開け放った庭から蚊とか蝿とか虫がブンブン飛んで来たろう、とか.
実は不思議だらけの話である.
この時代の政治に国民経済の発想は皆無で、要するに四季の慶事と加持祈祷と権力闘争が、高級官僚・光源氏の仕事のすべてのようにみえる.
権力闘争とは要するに血縁の拡張だから、宮中の男も女も、誰を妃にするか誰を愛人にするかしか考えていない.
紫式部は盛んに源氏の姿が「艶(えん)である」と言うが、ひっきょう「引目鉤鼻しもぶくれ」、源氏は単なるトリックスターなのだ.
この強烈な御都合主義と、和歌の応答がアナグラムに見えたなら、この小説はまさに世紀の奇書、レーモン・ルーセルの「アフリカの印象」に匹敵し、
ある男と彼が愛するたくさんの女へのこだわりは、高橋留美子のマンガ「うる星やつら」を思い出させる.
千年前の光源氏は、現代の諸星あたるなのだ.
いや、女性の面倒見がいいところはフーテンの寅そっくりで、いわば「とらや」に全マドンナが住んでいるという壮絶な状況が、源氏物語なのだ.

だから描いているのは男ではなく、女だ.
「もう見る影もないありさまで、しかも寒さでぶるぶる震えてしゃべっている」という末摘花を、久方ぶりに源氏が訪ねた下りなど秀逸.
「あんたの子供なら育ててもいいわよ」とばかり、どこかサバサバしている花散里もいい.
女性の生き方にあまり選択肢がない時代に、それでも彼女たちの意気込みとこだわりは十人十色で、それがこの小説の最大の魅力である.

「いつのまに蓬(よもぎ)がもとと結ぼほれ雪ふる里と荒れし垣根ぞ」
この物語から、光源氏というトリックスターが煙のように消えると、恋の駆け引きとしての和歌が、究極の言葉の意味と無意味に研ぎすまされていくのがみえる.


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