錆びたナイフ

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2025年2月15日
[本]

「生命とは何か」シュレーディンガー


「生命とは何か」



この本が出版された1944年当時、細胞内の染色体が遺伝の仕組みを担っていることは、わかっていた.
シュレーディンガーは、染色体の中にあると想像される「遺伝子」の構造を、原子や分子のふるまいから推定してゆく.
遺伝情報を持つ繊維状の分子、デオキシリボ核酸(DNA)の構造が明らかになったのは1953年.
物理学者から見た生命論として、この書は古典的な名著である.
実は、13年前に読んだ時はあまり印象に残らなかったのだが、再読して、おもしろい.

「原子はなぜそんなに小さいのか」
逆に、生物はなぜこんなに大きいのか、という話からはじまる.

『原子はすべて、絶えずまったく無秩序な熱運動をしており、この運動が、いわば原子自身が秩序正しく整然と行動することを妨げ、少数個の原子間に起こる事象が何らかの判然と認められうる法則に従って行われることを許さないからなのです。
 莫大な数の原子が互いに一緒になって行動する場合にはじめて、統計的な法則が生まれて、これらの原子「集団」の行動を支配するようになり、その法則の精度は関係する原子の数が増せば増すほど増大します。
 事象が真に秩序正しい姿を示すようになるのは、実はこのようなふうにして起こるのです。』

これが、世界は「安定」しており、おおむね物理法則に従う、という理由である.
この「秩序正しい姿」を描いたのが、ニュートンとアインシュタインまでの「物理学」であり、
著者のシュレーディンガーは、その後発展する原子の科学=「量子力学」の基礎を築いた.
量子力学および熱力学は、生物に対して、それまでとは全く違った世界観を提示した.

『ちょっと信じられないほどの少数個の原子から成る集団、あまり少数なので、厳密な統計的法則などはとても示しそうもない原子団が、生きている生物体の中できわめて秩序のある規則正しい現象を支配するような役割を、確かに演じているのです。
 これらの原子団が、生物が生長の過程の中で獲得する直接目でみえるような特徴を支配しており、生物体の働きの重要な特性を決定しているのです。』

これが「遺伝子」の話である.
物理学者から見れば「ちょっと信じられないほど」ありえない話、なのである.

『遺伝子はおそらく一個の大きなタンパク分子であり、その中ではおのおのの原子や基や原子の環の一つ一つは、それぞれ固有の役割を演じ、他のいずれの同種の原子・基・環とも、多かれ少なかれ異なる役割を演じます。』

これは、DNAの予感である.

『分子を変化させるために必要なエネルギー差 W
 分子の現状のエネルギー T
 WがTの30倍のとき期待時間は10分の1秒程度の小ささでありますが、WがTの50倍のときは16ヶ月に上り、WがTの60倍になると3万年になるのです!
 われわれが考えている分子の或る部分にたまたま振動エネルギーの偶然な揺らぎによって配列状態の異性体的変化が起こることは十分稀な出来事であって、これが自発的に起こる突然変異であるとの解釈が成り立つように思われます。
 このようにして量子力学の原理そのものによって、突然変異に関する最も驚くべき事実、すなわち突然変異は「飛躍的」な変異であって、中間形が生ずることはないということが説明されているのです。』

生物は、安定でなければならないと同時に、進化の前提となる変化のために、非安定でもなければならない.
著者は生物の突然変異が、原子分子レベルでどのように起こり得るかを解説している.
ここがこの書の白眉である.
ただし、この文章はとてもわかりにくい.
遺伝子を構成する分子に、量子力学的な変化が起こるためには、「振動エネルギー」つまり外部からの「熱」が必要であり、それは直線的な変化ではなく、指数関数的でかつ離散的な変化なのだ、といっている.
このポイントが、物理学者が見た、生物の驚異なのである.

『生物体が生きるために食べるのは負エントロピーなのです。
 このことをもう少し逆説らしくなくいうならば、物質代謝の本質は、生物体が生きているときにはどうしてもつくり出さざるをえないエントロピーを全部うまい具合に外へ棄てるということにあります。』

人は、星が生まれて死ぬ、という言い方をする.
恒星自身の質量によってその寿命も死の有様も決まっている、と天文学者は言う.
それはまさに、量子力学を含む物理法則によって決まっているのだ.
それは、生物の生と死と、どこがちがうのか.
生物は、死にあらがう.
「エントロピーをうまい具合に外へ棄てようとする」
生物は、やがて来る死に対して、しゃっくりのような「執行猶予」をくりかえす.

今でこそ「分子生物学」というような学問があるが、
この著作の当時、物理学者が生物や遺伝のことを語るのには、かなり勇気が必要だったのではないか.
私の知る自信満々の物理学者たちに比べて、著者は十分に謙虚である.
私は、ダーウィンの進化論に異議を唱えた 今西錦司を思い出す.
シュレーディンガーは、アインシュタインと同じく、科学で何でもわかるというていの「科学バカ」ではなかった.

この書を読んで感じるのは、生命というものが実に絶妙な仕組みで成り立っている、ということだ.
著者は結局、生物の細胞は原子分子のレベルでどのように反応しているか、を解説するのみで、「生命とは何か」という問いに答えていない、と私は思う.
「What(何か)」は「How to(どうやって)」である、とみなすのが「科学」なのだ.
何より、この書の解説は、「生」と「死」を区別していない.
生きているということを「細胞分裂」や「代謝」のような狭い働きに限定したとしても、原子分子の動きで、生死を区別できるだろうか.
映画「ミクロの決死圏」よりさらに縮小した物理学者が、生物の体内に入ったとして、そこにある嵐のような原子の振動を見て、はたしてこの生物が生きているのか死んでいるのか・・とうていわからないだろう.
その理由は、著者自身が述べている・・生物は巨大な分子の集まりであり、分子そのものではない、と.

私は思う.
生物とは、「分子の、とある状態」にすぎない.
それが「喜び」を感じるなら、それが「生命」なのだ、と.
では、「感じる」とはどういうことか.
この書は、それを論じていない.
著者は、この書の最後「決定論と自由意志について」というテーマで、
『(i)私のからだは自然法則に従って、一つの純粋な機械仕掛けとして働きを営んでいる。』
『(ii)にもかかわらず、私は私がその運動の支配者であり、その運動の結果を予見し、その結果が生命にかかわる重大なものである場合には、その全責任を感ずると同時に実際全責任を負っている、ということを疑う余地のない直接の経験によって知っている。』
だから、
『私――「私」であると感じたあらゆる意識的な心――は、とにかく「原子の運動」を自然法則に従って制御する人間である、ということだと思います。』
という.

「「原子の運動」を自然法則に従って制御する」というのは、個々の原子の熱力学的な動きを超えて、総体的・統計的なチカラで、身体(脳)が身体を動かしている、ということだろう.
まるで、肉体という機械の上に「魂」が宿っている、と言っているようだ.
なぁんだ、400年前のデカルトに戻ってしまった.



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