錆びたナイフ

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2025年2月1日
[本]

「ペスト」 カミユ


「ペスト」



この小説の出版は1947年.
アルジェリアのオラン市で、最初は大量のネズミが死に、猫や犬が死ぬ.
やがて・・これは中世に猛威を振るった黒死病ではないか.
街は外部との通行を遮断し、人々はどこにも逃げられない状態で、疫病と向きあう.
主人公リウーは医師.

人の移動が世界規模になった現代、感染症は地球レベルの課題である.
だから、ペストのパンデミック(感染爆発)が起こったなら、それは一都市の問題ではなく、全国/全世界を巻き込んだ騒動になる.
この小説は、あくまで主人公の都市だけを舞台にしている.
数十万人規模の街を完全閉鎖して、食料、水、電気、医療品の供給はどうしたのか.
母国フランスは、世界は、この街をどう支援したか、という記述はない.
リアルなドキュメンタリーではなく、人間の「不条理」の話であると、解説にはある.

『とにかく、この世の秩序が死の掟に支配されている以上は、おそらく神にとって、人々が自分を信じてくれないほうがいいかもしれないんです。
 そうしてあらんかぎりの力で死と戦ったほうがいいんです、神が黙している天上の世界に眼を向けたりしないで』

この主人公の言葉が、この話の中心である.
だが、宗教を超え、苦難を乗り越えて、人間がペストに打ち勝った、という話ではない.
主人公とともに、渦中で生き、死んでいった人々の話である.
市民の保健隊を立ち上げたタルー.
平凡な官吏だったグラン.
警察の目をのがれて生きるコタール.
パリに帰れなくなった新聞記者ランベール.
ペストは天罰であると告げる神父パヌルー.

ペスト菌は、動物からノミを媒介にして広がり、患者の体液の飛沫でも伝染する.
ウイルスではないから、抗生物質が効く.
患者の血液から生成する血清に予防効果がある.
街がすることは、感染者を隔離すること、一帯を消毒すること.
これらをなすことは条理にかなっている.
ではいったい何が、「不条理」なのか.
ペスト菌の存在そのものではない、感染拡大が、人間社会の「不条理」をあぶりだすのである.

さらに、リウーが言う「死と戦う」とはいったいなんのことか.
『ペストと戦う唯一の方法は、誠実さということです』
『僕の場合には、つまり自分の職務を果すことだと心得ています』
近代医療がなす事は、神に祈るのではなく、治療すること.
圧倒的な死者の数の前で、リウーは懸命に働くのだが、
『彼の役割は診断することであった。
 発見し、調べ、記述し、登録し、それから宣告する――これが彼の務めであった。』
宣告とは「隔離」を意味する.
なすすべのない死の描写は無惨で、真に迫っている.

パヌルー神父は、信心不信心にかかわらず、人がペストに罹患する現実を目の当たりにする.
彼は、この試練をまるごと受け止めようとして苦悩する.
罹患していない人々は同じように生活しながら、絶望と希望の狭間にいる.
作者は、そのむごたらしい死だけでなく、隔離のために引き裂かれた家族の悲惨さを見ている.
あたかも問題は「死」ではなく、愛が成受できないことであるかのように、あえてこの書に「死の恐怖」はない.

私が5年前に体験したコロナパンデミック騒ぎは、これとちがう.
人々が死に向き合ったというのではなく、ひたすら感染を恐れて思考が停止し、真っ当な議論ができず、手段が目的化し、何のために何をしているのかわからなくなり、「不条理」どころか社会は完全に「幼児化」した.

『誰でもめいめい自分のうちにペストをもっているんだ。
 なぜかといえば誰一人、まったくこの世に誰一人、その病毒を免れているものはないからだ。
 そうして、引っきりなしに自分で警戒していなければ、ちょっとうっかりした瞬間に、ほかのものの顔に息を吹きかけて、病毒をくっつけちまうようなことになる。
 自然なものというのは、病菌なのだ。
 そのほかのもの――健康とか無傷とか、なんなら清浄といってもいいが、そういうものは意志の結果で、しかもその意志は決してゆるめてはならないのだ。』
これはタルーの言葉.
病理としてのペスト理解としてはあきらかに間違っているし、何のことを言っているのかさっぱりわからない.
タルーは、検事である父が、被告に死刑を宣告したことに衝撃を受け、人が人を殺すことから無縁でありたいと願った男である.

『そのとき医師リウーは、ここで終りを告げるこの物語を書きつづろうと決心したのであった――黙して語らぬ人々の仲間にはいらぬために、
 これらペストに襲われた人々に有利な証言を行うために、彼らに対して行われた非道と暴虐の、せめて思い出だけでも残しておくために、
 そして、天災のさなかで教えられること、すなわち人間のなかには軽蔑すべきものよりも賛美すべきもののほうが多くあるということを、ただそうであるとだけいうために。』
ペストが人間に「非道と暴虐」をはたらく?
ああそうか、
これらは「ペスト」のことではなく、作者のレジスタンス体験をもとに、暗に「ナチズム」のことを言っているのだ.
だから、
『世間に存在する悪は、ほとんど常に無知に由来する』とか、
『ペストと生とのかけにおいて、およそ人間がかちうることのできたものは、それは知識と記憶であった。』といった、妙な話が出てくる.
この小説はまちがいなく優れており、第一級の作品であり、登場人物たちの生と死は読者の心をゆさぶる.
しかし、実はナチズムを批判した小説というなら、陳腐だ.
「ナチズム」も「ペスト」も同じ「悪だ」というなら、「ペスト菌」に失礼である.
私はアーレントの「 イェルサレムのアイヒマン」を思い出した.

自然の為す暴虐に比べれば、人間の為す悪など高が知れている.
自然は善悪を知らないからである.
科学技術という条理に依存し、一方で一神教の道徳を引きずった西欧は、その構造そのものが不条理なのだと思う.
その中で、作者はあがいているのである.

『タルーの頑丈な肩と広い胸も最良の武器ではなく、むしろリウーがさっき針の下にほとばしらせたあの血、
 そしてその血のなかの、霊魂よりももっと内奥のもの、いかなる科学も明るみに出しえないものこそ、それなのであった。』
親友タルーが瀕死の状態で「ペストの精霊」と戦っているというこの描写で、作者が見ているもの.
「霊魂よりももっと内奥のもの」を、作者は単なる生きる力としての「武器」とみなしているが、
それこそが、たぐいまれな生命の、偶然と必然の、圧倒的な叫びではないか.
それを「ナチズム」なんぞに矮小化するな、と、私はおもう.

『だが、まあ、そういうもんだね。
 ほかの連中はみんな言いまさ《さあ、ペストだ。ペストにかかったぞ》なんてね。
 もう少しで、勲章でもほしがりかねない始末でさ。
 だが、いったい何かね、ペストなんて?
 つまりそれが人生ってもんで、それだけのことでさ」

78年前、パンデミックはまだ「物語」たりえたのだ.
「物語」とは、人が産まれて生きて死ぬことである.
現代のパンデミックは、生も死も医療にうばわれ、ヒトの「物語」は、とうに解体した.



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