2025年3月30日
[本]

1990年代のイギリス.
31歳主人公キャシーの独白からはじまる.
ヘールシャムにあったという、全寮制小中学校?の思い出.
10代前半の少年少女たちの、他愛無い出来事の背後に、何かが隠れている.
それが物語の全編を貫いている.
文章は平易で繊細、難解なところはない.
日本語訳が優れているのだと思う.
村上春樹を思わせるような、洗練された語り口には魅力がある.
『わたしたち三人の関係はいつも壊れやすく、微妙です。』
キャシーとトミーとルースは仲の良い友だちだった.
彼らを含めて、ヘールシャムの生徒たちは、「謎」の周囲をめぐるように生きている.
みんなが先生と呼んでいるのは「保護官」らしい.
子供たちは元気よく暮らしているが、外の世界を知らない、まったく「親」の話をしない.
ゆるい不安ともどかしさの中で、作者の筆力は、ぐいぐい読者を引っ張ってゆく.
小説の半ばで、ここの生徒たちは、臓器提供のために、人間のクローンとして生まれたことが明かされる.
かなり突飛な話だが、語り口は思春期の少年少女のまま、冒険物語でも人間への不信や反抗の話でもない.
何も知らずに、この世に生まれてきた子どもたちの運命は、決まっている.
ヘールシャムを出た彼らは、「提供」の準備段階として農場で暮らす.
だんだん消えてゆく仲間たち.
クローンたちの最後がどうなるのか、数回臓器を提供すれば、彼らは弱って死ぬ.
介護と称して、仲間たちが提供者の面倒を見ている.
キャシーの心にあるのは、最後まで仲間たちへの微妙な気持ちの揺れ.
私は、映画「ブレードランナー」のレプリカントを思い出した.
彼らは人造人間で奴隷だったが、それ故にこそ、生きるということに強烈な思いを持っていた.
この書の少年少女たちはなぜ、これほどまで世界に順応しおとなしいのだろう.
まるで籠の中の小鳥のようだ.
愛し合っている二人には臓器提供の執行猶予があるという噂で、キャシーとトミーは、ヘールシャムの中心人物に会いにゆく.
それは噂に過ぎなかった.
この物語が悲惨で残酷で暗澹たる話かというと、そうではない.
哀れだが、不幸だというわけではない.
彼らは、ただあるがままに仲間たちと生き、ヘールシャムの思い出を大切にしている
私は、どうして、この世界から逃げ出さないのだろう、と思う.
著者は、臓器移植を必要とした人間とその社会の状況を、ほとんど説明していない.
この小説を読んで感じるのは、少年少女たちの、友だちを大切にしたい繊細な心と、管理された命.
そんなはずはない、生命とは、もっと暴力的で不条理に満ちたものではないのか.
映画「ブレードランナー 2049」は、レプリカントに子どもが生まれるという話である.
イシグロの小説に現れる「命のか細さ」は、いったいどこから来るのか.
それは、この小説の背後で生きる「人間たち」の社会から来ている、と私は思う.
臓器移植をしようがしまいが、けっきょくにんげんはしぬ.
しかし、死なない方法がひとつだけある.
永久に臓器移植をつづけることだ.
それはつまりクローンになること、自分の複製を永遠に作り続けることだ.
話は逆なのだ、クローンこそ、人間の終局的な姿であり、人間はそれを恐れている.
自分とはいったい誰なのか・・と.
こうして、個々の「にんげんのいのち」は、まるで蜘蛛の糸のように、記憶はヘールシャムの思い出のように、限りなくか細くなる.