錆びたナイフ

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2024年3月2日
[本]

「精霊たちの家」 イサベル・アジェンデ


「精霊たちの家」


『バラバース(犬)は海を渡って私たちのもとにやってきた』
冒頭の文章は、クラーラが書いたというノート.
『それから五十年後、私はそのノートのおかげで過去のできごとを知り、突然襲ってきた不幸な時代を生き延びることができた・・』
話はここから始まるのだが、「私」というのが誰か、わからない.
どこの国の話か、わからない.
4世代に渡るデル・バージェ家とトゥルエバ家の物語である.

デル・バージェ家のクラーラは、政治家を目指している父セベーロとその母ニベアの次女.
長女ローザは絶世の美少女で、北部の鉱山で働くエステバン・トゥルエバという婚約者がいる.
この姉妹をはじめ、登場人物は皆、どこかのネジが外れている.

「でも、この家にはそんな人はいないでしょう」とアルバが尋ねた。
「ええ、いないわ。この家には本当に頭のおかしい人間はいないけど、でもみんなどこかおかしいのよ」

話の舞台は、都会の大きな屋敷と、地方にある大農場.
冒頭から、次から次へと話が飛び、怒涛のように溢れ出る文章に圧倒され、ひきこまれ、とまらない.
たぐいまれな筆力.
大河小説というより、巨大なファンタジーか.
570ページを越える大著だが、退屈しない.

クラーラは、未来を予知したり家具を動かしたりする超能力を持っている物語の中心人物だ.
ローザが父の政争に巻き込まれて毒殺され、その検死解剖を覗き見たクラーラは、なんとその後9年間、誰とも口をきかなくなる.
再び囗を開いた時、姉の婚約者だったエステバンと結婚すると言う.
しっかりものの天使のような、このクラーラには魅力がある.
どうやら南米チリの話らしいが、スペイン語を話す大家族の物語は、ガルシア・マルケスの「百年の孤独」を思い出す.
圧倒的な情熱と時の流れ、ラテンアメリカは、なんでもあり、なのだ.

エステバンは事業に成功し、保守的で横暴な大地主となる.
エステバンとクラーラの間に、娘ブランカ、双子の息子ハイメとニコラスが産まれる.
一方で、農場の小作人の娘を次次と陵辱して恥じることのないエステバン.
ブランカは小作人の息子ペドロを好きになるが父親に反対されて、秘密の逢瀬を重ねる.
この若いふたりの、熱烈で野生的な恋愛描写は見事.
ペドロは反政府の歌を歌って国民の英雄になる.
怒り狂ったエステバンは、ペドロをとらえてその指を切り落とす.
にもかかわらず、ブランカとペドロの間に生まれたのが、アルバ.
この小説で、所々一人称で語るのは、実はエステバンとアルバである.
物語の中心は、クラーラからエステバンそしてアルバに変わる.

この小説、「百年の孤独」とは中盤以降の世界がちがう.
ブランカ、ハイメ、ニコラス、彼らの社会への思いと反抗は、明らかに現代の話であり、アルバが体験する大学紛争は、どこかで見た景色だ.
国民が樹立した社会主義政府を、エステバンをはじめとする保守派、豪農、資本家が結託して押し潰し、
疲弊した国内に秩序を取り戻すという名目で、軍事政権が誕生する.
背後で後押しするのは米国.
1973年、悪名高いピノチェト政権である.
頑迷なエステバンも、最愛の孫娘アルバが軍人に囚われて拷問されるに及んで、考えを変える.
軍事独裁政権の弾圧ぶりは、チェコ動乱を背景にした、ミラン・クンデラの「 存在の耐えられない軽さ」を思わせる.
チリの一連の騒乱が、グローバルな世界の流れの中にあることは、この国が持っていた「物語」を失うことと等しい.

『クラーラはまだ若かったが、歯が抜けていたので、アルバはとても年寄りだと思い込んでいた。
しわがなかったので、口を閉じていると、顔が童顔だったこともあって驚くほど若く見えた。
狂人が着けるような生成りのリンネルのチュニックを着、冬はウールの長い靴下に指のない手袋をしていた。
なんでもないことで笑い転げたが、冗談はまったく通じなかった。
誰もなにも言っていないのに、場違いなところで急に笑い出すのだが、人がばかなことをすると、悲しそうな顔をすることがあった。
時々喘息の発作に襲われた。
その時は、いつも身につけている鈴を鳴らして孫を呼んだ。
アルバはすぐに祖母のもとに駆けつけ、しっかり抱き締めると、やさしい言葉をささやきかけた。
ふたりは経験から、喘息の発作を静めるには愛する人間をしっかり抱き締めるしかないことを知っていたのだ。』

エステバンは、この家族の絆と優しさの中で生きることができなかった.
それでもこの男の中には、妻への思いがあった.
同時にとんでもないDV男で、妻のクラーラにもあいそをつかされた.
エステバンは、農場の小作人たちは何もできない烏合の衆で、彼らに真っ当な生活環境を与えているのは自分だと、固く信じていた.
だから「烏合の衆」が主人公であると主張する、社会主義や共産主義が大キライだった.
とうてい魅力的な人物ではないのだが、著者は否定的に描いていない.
クラーラが死んだあとのエステバンは、抜け殻だ.
かつて自信にあふれ、大きな体躯だったエステバンは、物語の終盤で、縮んで小さくなる.
娘も息子も孫も、社会の中で人々の役に立とうとする信念をもって、それぞれ多様な生き方をした.
あるいはそういう生き方ができた.
が、クラーラとエステバンは、社会がどうあろうと、自分として生きた.
クラーラは時代を越え、エステバンは時代そのものだった.
それが、読者の心をゆさぶる.

エステバンの死で、この小説は終わる.
この国から、超能力も豪農も小作人も消え、物語も消える.
そして、おなじみの、資本と消費の時代がやって来る.



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