2023年11月21日
[本]

お大師さま・弘法大師・空海(774-835)の話である.
この男、平安時代に、この世界を「言語化」しようとした.
空海が中国で学び、日本で実践した真言密教は、当時の世界の「総合知」だった.
だから単なる仏教の話ではない.
その知は、世界とは何かを正面から問うているのである.
この時代、僧侶は学者だったのであり、彼らが作りあげた「仏教」体系は、現代の「科学」に匹敵すると考えるべきなのだ.
私が「歩く図書館」と呼んでいる松岡正剛は、その膨大な読書体験を駆使して、この時代の知識の奔流を、一人の僧侶とともに泳ぎ渡る.
仏教書を原典にしているのだから、ここに引用される書物の、難解な漢字の洪水よ!
とても読めない・・がそんなことは問題ではない.
まず、世界は「声」なのだ、と著者はいう.
それは「呼吸」と「鼓動」であり、その律動は、身体をとおして世界と同期している.
中国から入ってきた「漢字」から、「日本文字」を生み出すこの時代のダイナミズムを、著者は、例えば「いろは歌」で解き明かしてみせる.
色は匂へど散りぬるを (諸行無常)
わが世誰ぞ常ならむ (是生滅法)
有為の奥山今日越えて (生滅滅巳)
浅き夢見じ酔ひもせず (寂滅為楽)
この「五十音」
The quick brown fox jumps over the lazy dog.
とはわけがちがう.
思想なのである.
日本語を論じることが、空海に通じるという、そこがこの著作のすごいところだ.
例えば今、アインシュタインの呪文「E=mc^2」を何遍唱えたところで、私たちの身体には何の変化もないだろう.
あまつさえ、その式をどんな「書体」で書こうが、意味はおなじである.
もしその「式」が世界の真実をあらわしているなら、人間の身体性と無縁であるはずかない、と空海は言う.
声明を唱えること、経典を書き起こすこと、曼荼羅を描くことは、どれもが世界知への到達手段なのだ.
時の権力の中枢にあって、真言密教は、国家の安寧、怨霊退散、病気平癒、果ては「雨乞い」さえも実現した.
バカバカしいといいうなかれ、かの時代、たしかに祈祷で病は平癒し、雨が降ったのである.
「E=mc^2」で「人間」は救われない.
空海の思想の根源は、徹底的に「身体性」に依拠していることだ.
いわば現代科学は、身体性を失うことで、世界を知り、同時に世界を失ったのである.
儒教、仏教、道教、老荘思想(タオイズム)、易、風水、山岳信仰、陰陽道、果てはお狐様まで、空海は、このアジア東端の地で、あらゆる神々を巻きこんだ運動を展開した.
人間釈迦が古代インドで悟りをひらいたという話から、どうやってここまで到達したのか.
この営為、著者流に言えば「編集力」の凄さが、この書の眼目であり、著者は空海にその力を見出したのである.
空海の「秘密曼荼羅十住心論体系」には次の十段階の世界が記されている.
・迷妄の段階・倫理以前、性食をむさぼる 異生羝羊心(いしょうていようしん)
・他者への倫理発生、人間国家を知る
・宗教的自覚の発生、天上界と絶対性を知る
・個体の実在を否定してやっと無我を知る
・根源的無知からただ一人だけで解放される
・他者の救済を知る大悲の自覚、菩薩道の発生
・全現象の実在を否定して、一切皆空を知る 覚心不生心(かくしんふしょうしん)
・全規象が区別なく清浄であることを知る
・あらゆる対立を越えて無尽円融の世界を知る
・無限の展開に向けてマンダラの秘密を知る 秘密荘厳心(ひみつしょうごんしん)
これはいったいなんのことかといえば、要するに心の発展段階であり、社会や国家の進歩であり、人間の認識の変遷をあらわしているのだろう.
この展開は禅の「
十牛図」を思わせる.
我々はいまだ「異生羝羊心」の段階にいるのではないか.
「量子力学」は「覚心不生心」の世界に突入したのではないか.
しからば「科学」は最終的に「秘密荘厳心」のレベルに到達するのか.
『仏教の要訣は、せんじつめればいかに意識をコントロールできるかという点にかかっている。』
著者は地球上の生物の歴史を語り始める.
「意識」はどのように生まれたのか.
そしてアジアで、仏教をはじめとする宗教がどのように離散消滅集合発展したのか.
著者は、驚くべき広範囲の「知」から、この1200年まえの一僧侶にアプローチしている.
空海はまちがいなく天才だった、しかしそれ以上の人間像は、私には判然としなかった.
その死から300年後に現れた親鸞は、空海とはちがっていた.
この僧は、ひたすら念仏を唱えよと説いたが、念仏を唱えれば往生できるのかと問われれば、それはわからないと答えた.
他力本願の凄さは「往って還ってくること」にある.
仏教の体系を積み上げ修行したその先で、それを捨てることだ.
空海に、その発想はなかったのではないだろうか.
親鸞は思想家だが、空海は実践的学者だったと、私は感じる.
ユダヤ教が、その神が望んでいたかどうかに関わらず、イエスを生んだように、
ブッダの思いの果てに、親鸞が生まれたのだと、私はおもう.
宇宙がどうなっていようと、しょせん人間の根拠は、人間の関係の中にしかない.
弘法大師が杖をついた地から泉が湧き出た、というような伝説が日本中にある.
人々はひたすら現世利益を求め、空海はそれに応えた.
『三界の狂人は狂せることを知らず
四生の盲者は盲なることを識らず
生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く
死に死に死に死んで死の終りに冥(くら)し』
「秘密荘厳心」どころではない.