錆びたナイフ

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2014年6月2日
[本]

「十牛図」 山田無文

「十牛図-1」


じゅうぎゅうず.
原作者は千年くらい前の中国・廓庵(かくあん)禅師.
禅の修行の極意を説いているという十枚の絵がある.
尋牛、牛を探す.
見跡、足跡を見つける.
見牛、牛を見つける.
得牛、牛を捕まえる.
牧牛、牛を飼いならす.
騎牛帰家、牛に乗って家に帰る.
忘牛存人、牛を忘れる.

牛は悟りの象徴で、物語の起承転結でいうと、この「忘牛存人」辺りで終るはずだが、
さらにその先があるというのがすごい.
しかも八番目から先はブッとんでいる.
人牛倶忘、まるくなる.
返本還源、梅の花が咲く.
入鄽垂手(にってんすいしゅ)、俗世に帰る.

最初と最後の絵を並べてみる.

「十牛図-2」

探しものをしている若者.
・・どうみても怪しい坊さんが若者を誘惑している.

元来「禅」は理解するものではなく体得するものだ.
廓庵の漢詩は難解で、この本は、禅宗僧侶である著者がそれを解説している.
例えば、騎牛帰家.
「羗笛(きょうてき)声声晩霞を送る
 牛の背に騎って、いい気持で横笛を吹き、ゆったりとした気持で家に帰ってくる。
 たそがれの霞が周囲の山々にたなびいて、美しく夕陽に反射している。
 煩悩も菩提ももういらん。生死も涅槃もいらん。」
「樵子(しょうし)の村歌を唄え、児童の野曲を吹く
 木こりが素朴な歌を歌っている。無心になったんだ、・・
 ベートーヴェンの交響曲だのという小むずかしいものはいらん。」

ベートーヴェンが小むずかしい?
人間がまさに「煩悩」の極限に登りつめて作るものの凄さを、分からなくなること、が禅の境地なのだ.
それは、十牛図最初と最後の絵に紙一重の違いもない、というのに似ている.
かくして、
気持ちのいい夕暮れ時に、心を開いて、天然自然の中に見るのは、仏性という名の魑魅魍魎.
自力と他力のあわいで立ちすくんでいるのはたれか.
すると、牛が振り返る.
オレを探しているのか?


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