錆びたナイフ

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2022年8月7日
[本]

「日本語のために」 池澤夏樹編


「日本語のために」


「祝詞(のりと)」から「憲法」まで、日本語のアンソロジーである.
章立ては
1 古代の文体
2 漢詩と漢文
3 仏教の文体
4 キリスト教の文体
5 琉球語
6 アイヌ語
7 音韻と表記
8 現代語の語彙と文体
9 政治の言葉
10 日本語の性格

琉球語は、沖縄の短歌に現地の読みを併記している.
『一人寝の枕 浮舟になちゆて 夢にこぎ渡る 無蔵がお側』
(ふぃちゅいにぬまくら、うちふにになちゅてぃ、いみにくじわたる、んぞがうすば)
アイヌ語は、カタカナで発音を表記した物語を載せているが、私には「カムイ」という言葉しかわからない.

日本語にとって「漢字」は圧倒的だ.
それは当時の日本人にとって、単なる文字ではない.
『近代以前のヨーロッパでラテン語が果たした学術的な役割を東アジアでは漢字が担った。』と編者はいう.
松岡正剛は、
『空海以降、こういうことが一斉に、かつ同時に、おこったとみればよい。
 一方では仮名の登場が、 他方では梵語の研究が、また別のところでは条例や官職に使用する漢字の意味の把握などが、さらに別のところでは和歌と漢詩の比較が一挙に進んでいったのだった。
 おそらく日本語の将来にとって、こんなにすごい時代はほかにない。』
という.
カトリック教会が文化としてのラテン語を西欧に広めたように、インドで発生した仏教を、漢字が呑み込み、東アジアへ広めた.
僧侶は当時、強烈な探究心と信念を持った最先端の「学者」だったのである.
そして日本人は、中国語を日本語で読むという、驚くべきことをやってのけた.

『彼は容赦なく盗んだ。 ラテン系のさまざまな言葉の意味、ひびき、イメージ。土着の英語からは、俗謡、船乗りや兵士の職業語、 猥談用の隠語にいたるまで、あらゆる社会層の笑いと汗のしみこんだ鋭い単語。
 劇作家としてはさらに手をひろげて、地中海世界とアングロサクソン世界と、双方の神話や伝説や歴史から多彩な人間像、筋書き、名せりふなど。
 このゆたかな素材と、 それぞれの性能を最大限に生かす卓抜な戦術によって、彼の作品は一種の新しい百科全書文明のふたつの流れを集約したひとつの新しい原典になる。』
これは「意味とひびき 日本語の表現力について 永川玲二」から、
『彼』とはシェイクスピアのことである.
永川は、『漢語とやまとことばは、ラテン語と英語よりもさらに溶けあいにくい言葉だった。』という.
『同音異語の氾濫という漢語の弱点が、日本語への同化の過程でますます大きくなったことだ。
 万葉時代から王朝末期にかけて、大量の漢語が知識階級の言語生活のなかに浸透しつつあった時期に、日本語そのものの音韻組織は逆に急激に単純化された。
 同化がすすむにつれて、中国語発音の四声の区別をうしなった漢語たちはこの単純な組織に押しこまれ、ますます聞きとりにくい言葉になる。』
言語は文化を生み、文化は言語を進化させる、両者は常に格闘している.
世界のどこにも、未だ理想の言語は存在しない.

永川は、ヨーロッパ語の表記に対応して、新たな文字を提案している.
五十音図のなかで、
シ°=si チ°=ti ツ°=tu エ°=ye 
ヂ=di ヅ=du
ワ=wa ヰ=wi ウ=wu ヱ=we ヲ=wo
ワ°=fa ヰ°=fi ウ°=fu ヱ°=fe ヲ°=fo
ワ"=va ヰ"=vi ウ"vu ヱ"=ve ヲ"=vo
を表すとする。
使われていない文字の流用である.
「イワン・イワノビッチ」でなく「イワ"ン・イワ"ノヰ"ッチ」.
なかなか面白い.

終盤にある大野晋の『文法なんか嫌い』というのは「は」の話で、これは実に明快.
『日本語のハと同じような役割をする言葉は、英語にもドイツ語にもフランス語にもない。
 だから、どんなに外国語の勉強をしても、それだけではハの特徴は分かりません。』という.
『象は鼻が長い
 このセンテンスでは、まず「象は」 と問題が出される。ハの下には新しい情報が来るはずで、そこに「鼻が長い」が来る。 「鼻が」のガは新しい情報のしるしです。・・
 一つのセンテンスに二つ主語があると見るのは英語式の見方です。』
三上章の本より、はるかにわかりやすい.

鶴見俊輔は『言葉のお守り的使用法について』 という一文で、
「鬼畜米英」「八紘一宇」といった、かつて日本中にあふれた戦意鼓舞の空疎な日本語を、痛烈に批判している.
戦後の「自由」「デモクラシー」といった言葉も同様で、いったい何のことを言っているのかと問うことなく、雰囲気だけが流布される.
この言葉のありさまが、そのまま日本人の思考の劣化をあらわしている.
鶴見の理論は整然としている.
福田恆存や高島俊男の「現代かなづかい」や「当用漢字」「国語審議会」への批判も、なるほどと思う.
しかし、
自然言語は、数式やプログラミング言語とは違う.
論理的に正しければよい、というだけではない.

『詩酒放蕩。友人責以大義。因賦此詩答之。
 堪笑書生抱杞憂 乾坤自古事悠々
 狂人別有胸間快 無日無登売酒楼
 きれてくれろとやはらかに真綿で首のこわいけん
 八千八声のほとゝきす血を吐くよりも猶つらい』
幕末、おまはん女と遊んでいる時ではなかろうという友への、高杉晋作の返事.
この和漢両用の柔軟さは、漢字で考え、ひらがなで語るという、日本語の真骨頂である.

「人間」「にんげん」「ニンゲン」と書いてそれぞれニュアンスの違いがあるという・・
日いずる辺境の地で、すったもんだの末に産み出した日本語の摩訶不思議.
「日本語のために」という表題は、今後もこの言葉が豊かでありますようにという思いだろう.
ある日、ネットで大学の授業を見ていたら、冒頭で教授が、この教室の中に、日本語がわからない生徒が一人でもいたら、英語で講義する、というのを聞いてびっくりした.
大学生は英語が喋れて当然ということ、ではない.
もし、この教授の授業が世界的に貴重なもので、彼がスワヒリ語しか話さないなら、生徒たちはまずスワヒリ語を必死に学ぶだろう.
学問とはそういうものだ.
言語が単に情報の伝達手段であるのなら、ビジネスや教育の場で、英語や中国語が公用語になるだろう.
そもそも、話者の人口が急減しつつある日本語は、もはや絶滅危惧種なのである.



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