2022年7月17日
[映画]

冒頭は、「美しき青きドナウ」のメロディーにあわせて、店内を走り回るフォークリフト.
旧東ドイツのトラック運送人民公社の敷地に、東西ドイツ統一後、巨大スーパーマーケットができた.
そこで働きはじめたクリスティアン(フランツ・ロゴフスキ)は、いつもうつ向き加減で、川谷拓三を思い出す.
自閉症か?と思ったのだが、単に無口なだけで、この青年は少しずつ仕事を覚えてゆく.
仕事はいわゆる「棚だし」、フォークリフトと人手を使って、膨大な商品を補充してゆく.
映像は、そういうスタッフたちの仕事を丹念に描いている.
この巨大商店は、3階分ほどもある棚に、ぎっしりと商品が並んでいる.
日本で言うと「コストコ」のようなもの.
クリスティアンに仕事を教えてくれるのは、年配のブルーノ(ペーター・クルト).
悪意のある人間とか、イジワルな同僚は登場しない.
いさかいや反目もあるが、どちらかといえば、スタッフ同士はゆるい連帯感で仕事をしている.
しかしこの主人公、なんだか印象が「暗い」.
クリスティアンの腕には、波のような入れ墨がある (背中には2頭のクマの顔).
十代の頃に悪い仲間とつきあって、刑務所に入った経験があるというが、どうもそれが暗さの原因ではない.
彼は、隣の職場のマリオン(ザンドラ・ヒュラー)が気になる.
どこかで見たような気がするこのヒロイン、あけすけな物言いをするが、行き場のない思いを抱えているようにみえる.
仲間たちはクリスティアンの気持ちに気づいて、気にかけてくれる.
このおずおずとした恋心が、この映画の話をリードするのだが、それがテーマではないらしい.
原題は「通路」.
この場所で出会い、働く人々の、心の底にあるもの.
職場内は禁煙だが、クリスティアンもブルーノも隠れてタバコを吸っている.
ブルーノは、休憩と称して仲間とチェスをする.
廃棄する食品を失敬して食べたりする者もいる.
もちろん、見つかればクビである.
職場の規律がゆるんですさんでいる、というのではない、それでだれか困るわけではないし、仕事はちゃんと回っているし、どちらかといえばいい職場である.
ブルーノは東独時代にトラックの運転手だった.
今の職場にも、その頃の古い仲間たちがいる.
東西ドイツの統合は、社会の最下層で働く人々にとって、必ずしもハッピーな出来事だったのではない、のではないか.
これほど商品があふれ、便利になったはずの社会は、結局、勝者と敗者を生み出した.
巨大スーパーは勝者であり、人民公社は敗者だ.
かつて、映画の中でタバコを吸うという行為は、ひとつのアクセントだった.
ある種「サマ」になるのである.
やがてそれは、下手な役者と凡庸な監督が、間を持たせるための演出手段になった.
今、映画の中でタバコを吸うというのは、さらに別の意味を持っている.
それは、時代遅れで頑迷な人間であることの象徴なのだ.
ブルーノが吸うのは、昔からの労働者のタバコだ.
西欧・西ドイツ流の発想からすれば、それは身体に悪いだけではない、自らの健康すら管理できない愚か者、ということになる.
映画にはないが、そう言われたときのブルーノの顔つきが想像できる.
ほっといてくれ.
ある晩、ブルーノはクリスティアンを自宅に誘う.
ブルーノは、昔の運転手時代が懐かしいという.
彼の家は決して豊かではないが、貧窮しているようには見えない.
そのブルーノが突然、自死してしまう.
どうして、と戸惑う仲間たち.
この「死」は、私にもよくわからない.
ブルーノは、この世に希望をもてなかったのだろうか.
家族が崩壊していたとか、不治の病を抱えていたとか、誰にもわかりやすい説明はない.
つまり、うまく説明できないのだ.
映画の中で時に、波の音が聞こえるように、
ここではないどこかへ・・
4年前の作品だが、この職場の雰囲気は、半世紀前を思わせる.
私はなぜか「鉄道員」(1956)の老運転手を思い出した.
今なら、ロボットやAIを使った在庫管理が進んで、働く人間の存在は、もっとちいさくなっているだろう.
ここの労働者たちが10年後、同じ職場にいるかどうか、わからない.
この映画に深刻な雰囲気はなく、全体に薄明かりのようなものに包まれているのだが、私はその底に、行き場のない暗さを感じる.
昨日まで帽子屋だった者は、明日も帽子屋でいられた.
ヒトは、長いことそうして暮らしてきた.
社会主義の時代でもそうだった.
今、まるで大津波のように世界は「変化」し、町の「帽子屋」も「傘屋」も「布団屋」も消えた.
マリオンには夫がいる.
クリスティアンとマリオンがこの後どうなるのか、わからない.
映画の台詞はドイツ語だが、劇中に英語の歌が流れて来ると、どういうわけか「世の中何とかなるさ」という気分になる.
映画の作者も、何とかなるさ、と思っているのだろうか.
私が感じるのは別のことだ.
それは、飢えや貧困、偏見と分断、格差や抑圧や暴力の話ではない.
自分の背丈よりはるかに高く積まれた商品を、毎日補充する人々、そしてそれを毎日消費して生きる人々.
この映画は、その流れを一寸止めてみせた.
これが、わたしたちの望んだ世界なのか、と.
「希望の灯り」という邦題を、アイロニーのつもりで付けたのなら、たいしたものだ.