錆びたナイフ

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2022年4月30日
[本]

「象は鼻が長い」 三上章


「象は、鼻が長い」


この本は1960年初版発行、2021年38刷、長く読み継がれてきた本らしい.
「テニヲハ」の「ハ」を語っている、日本語文法の本である.
一見すると例文が豊富で、わかりやすいように思える.
最初の数ページを読んで・・よくわからない.
(正直のところ、この著者は文章が下手だと思う‥)
一体何をしようとしているのか.

表題文は、
「象の鼻が長い」
「鼻が長い象」
「象の長い鼻」
のように「は」を使わない言い換えができると、著者はいう.
このことを、文法上なぜか「無題化」というらしい.
すなわち「は」は、「が」「の」「に」といった別の助詞の機能を「代行」している.
このはたらきを著者は「は」の兼務と呼んでいる.
そして「は」の本務は、「は」が示した「題目」が文のどこに係るか、つまりどこまで影響するかということ.
「象は鼻が長い。足が太い。耳が大きい。」という時、「象は」この文中の句点を超えて、文末まで影響する.
確かにそうだ.

一般的に言えば、「は」は、副助詞とか係助詞とか呼ばれるもので、題目を提示する、といった役割がある.
格助詞としての「が」や「の」は、主格を表す.
では、「象は、鼻が長い」の「主語」は「象」か「鼻」か?
著者は巻末でこういう.
『以上「ハ」に関する文法のあらましを、主従関係という観念を使わずに、したがって主語という用語を使わずに述べました。』
英語の「主語 (S)+動詞 (V)+目的語 (O)」といった構文にある主語/述語という概念は、そのまま日本語にはあてはまらない.
著者は、『日本語に「主語」を探すのはやめよう』と言っている.
そもそも「主語」とは、「が」や「の」が示すものではなく、文を作る「主体」のことであり「は」が示すのは「題目」である.

この書は、「は」という助詞の機能を丹念に解析すると同時に、「主語述語」にこだわる日本の標準的な文法教育が、間違っていると訴えている.
それが、この本の「わからなさ」につながっている.
真っ当な大人は文法書など読まないし、文法書を読まなくても日本語は話せる.
私は、小学生でも話せる表題のような文章が、実は言語学者にとっては難題であり、長年に渡って論争の的であった、というのにびっくりした.
私たちが赤ん坊の頃から習え覚えた自然言語の、その仕組みがよくわかっていない、というのだ.

試みに、下記のような日本語文をGoogle翻訳にかけてみる.
「象は、鼻が長い」
Elephant has a long nose.
「象は、鼻が長い。耳が大きい。足が太い。」
Elephant has a long nose. I have big ears. The legs are thick.【誤訳】
「私はうなぎだ」(私の注文はうなぎだ)
I'm an eel.【誤訳】
「コンニャクは太らない」(人はコンニャクを食べても太らない)
Konjac does not get fat.【誤訳】
「ボクいくつ?」(子供に向かって)
How many of me? .【誤訳】
「おかあさんいそがしいんだから、あっちへ行ってらっしゃい」(子供に向かって)
Mom is busy, so please go over there.
「あの人、私、キライよ」(私はあの人が嫌いだ)
That person, I'm not happy.

That person does not like me.
と訳さなかったところは、翻訳AIの幸運.
「I'm an eel.」は笑えるが、誤訳はどれも主語を間違えている.
日本語では、何が主語かということは、文を超えて理解されているので、文中にない場合がある、ということだ.
一方英語は、主語によって動詞の活用が決まるので、原則として主語は必須ということになる.
というより、「私の注文はうなぎだ」というのを「私はうなぎだ」と言って通じるのは、そんなに不思議な事ではなく、
「Tea or coffee?」
「Tea please.」
と同じことだろう、主語や動詞が不要という状況はよくある.
「これ、残ったから持ってく?」
「いいよ」
この「いいよ」は「持っていくよ」でも「いらないよ」でもありえるが、その場で聞けば意図は通じる.
相手の顔が見える会話と、記録された文字は、同じものではない.

「オカンの嫁入り」(2010)という映画の宣伝コピーは、
「おかあさん 結婚することにしたから。」
この文の「主語」は、自分を「おかあさん」と呼ぶ「私」である.
Google翻訳すると、
「Mom decided to get married.」(母は結婚する事にした)
ちなみに読点を入れて、
「おかあさん、結婚することにしたから。」とすると、
「Mom, I decided to get married.」(お母さん、私は結婚することにしました)
完全に誤訳.
実はこの文は、もっと多くの意味と意図を持っている.
母親が、娘あるいは息子に話しかけている.
母親の夫は、離婚したか死別したか今はいない.
母親は、自分が結婚する事で、娘あるいは息子がどうなるのかと気づかっている.
英語では無理だろう、これを一文で表現するという、日本語の凄さである.
私は、この日本語の構造が、短歌や俳句の描写力を生み出しているのだと思う.

「学校へ行く」とは言っても、
「学校の行く」とは言わない.
それは単に、日本人が「へ」と「の」という格助詞の使用法(文法)を理解しているからではない.
これらの言葉は一音一音人間の耳に入り、聞き手はその音をたどりながら、発話者の意図を追体験する事で単語を構成し、さらに次の語を思い描く.
「学校へ」と、「学校の」と聞こえたときの、その描いた世界はちがうのだ.
この本を読んで感じるじれったさは、文法の背後にある、人間の思考の話がまったくないことで、
著者は単に文法上「「学校の行く」とは言わない」といっているだけである.
この書の根底にあるのは、日本語への尽きない興味というより、日本の国語教育への異論なのだろう.


「ゆる言語学ラジオ」

「yurugen」


私がこの本を知ったのは、このユーチューブ番組.
一介の言語学オタクと、ウンチク好きの若者二人が「言語」を語る.
iPodでもラジオのように聴けるが、字幕がとても分かりやすいので、Youtubeの方がいい.
話し方は今時の若者風にくだけているが、おもしろい、実に面白い.
ボケとツッコミよろしく、この二人の対話は、適度なテンションと、高度な解説力を持っている.
ソシュールとかチョムスキーとか、かなり高度な話がバンバン出てくる.
雑談めかして、言語学の核心を外していない.
何より、「言語」が面白いという気持ちが、ひしひしと伝わってくる.
この番組は各回50分程度で、全部で100回を超えている.
どれもおもしろいというわけではないが、大学教授の講義なんぞを聴くよりはるかにいい.
三上章の本も、この番組を見る方がわかりやすい.




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