錆びたナイフ

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2025年4月25日
[本]

「武士の娘」 杉本鉞子


「武士の娘」



面白い、読み出すと止まらない.
著者、鉞子(えつこ)の「鉞」は、金太郎がかついでいたあの「まさかり」.
明治6年、越後長岡藩の家老の娘として生まれた著者の、昔話である.
その描写力は見事で、自伝というより、一編の小説を読んでいるようだ.

『月の朔日、十五日は勤め人は仕事を休むことになっておりましたので、寄進を集めるのには都合のよい日でした。』
(京都の本願寺が火災にあったので)『寄進の金品は日本の国中から集りました。
 なかでも、越後の国はその昔、親鸞聖人さまが佐渡の島から放免になられて、一番先に布教なされたところだけに、ここは喜捨の心に燃え、殊に長岡はその中心でございました。』

「勤め人」というのは使用人のことだろうが、当時、月(陰暦)の1日と15日が休日だったというのは知らなかった.
150年ほど前のことだが、こういう日常生活の描写が実に興味深い.

『私は(女中の)いしと一緒に門口に立って、寄進につづく人々を見ていましたが、女達が申し合わせたように、藍染めの手拭をかぶっているのに気づきました。
 女中達は、お掃除や台所仕事をする時のほかは、手拭をかぶらないものですから、不審に思って、私は尋ねました。
「どうして、みんな街で手拭をかぶっているの」
「あの人たちはみな、髪の毛を切っているのでございますよ」といしは答えました。
「じゃ、みんなやもめなのね」と、私は驚いて訊き返しました。』

この少女の誤解はとても可笑しいが、この女たちの髪で毛綱を作り、再建される本願寺の材木を引く、という話にはびっくりした.
仏教はこの当時の庶民の心に深く根差していて、それは彼らの生きがいそのものだったのだ.

『私の幼い頃には、幼稚園などはありませんでしたけれども、小学校にあがる前に、ほんの手ほどきではありましたが、歴史や文学の基礎ともなるべきものを、かなり学ばされました。
 私の祖母は大変な読書家でしたので、雪に降りこめられた冬の夜長には、私達子供はうちそろって炬燵をかこみ、祖母の話に耳を傾けたものでした。
 我が国に伝わる神代の物語、宮本武蔵、田宮坊太郎、小栗判官、岩見重太郎など英雄豪傑のお話、八犬伝や弓張月などの小説のお話、それからまた、むかしのお芝居のお話なども、この祖母の口から聞かされたものでした。』

『当時、女の子が漢籍を学ぶということは、ごく稀れなことでありましたので、私が勉強したものは男の子むきのものばかりでした。
 最初に学んだものは四書ー即ち大学、中庸、論語、孟子でした。
 当時僅か六歳の私がこの難しい書物を理解できなかったことはいうまでもないことでごさいます。
 私の頭の中には、唯たくさんの言葉が一杯になっているばかりでした。
 もちろんこの言葉の蔭には立派な思想が秘められていたのでしょうが、当時の私には何の意味もありませんでした。
 時に、なまなか判ったような気がして、お師匠さまに意味をお尋ね致しますと、先生はきまって、「よく考えていれば、自然に言葉がほぐれて意味が判ってまいります」とか「百読自ら其の意を解す」とかお答えになりました。
 ある時「まだまだ幼いのですから、この書の深い意味を理解しようとなさるのは分を越えます」とおっしゃいました。』

『お稽古の二時間のあいだ、お師匠さまは手と唇を動かす外は、身動き一つなさいませんでした。
 私もまた、畳の上に正しく坐ったまま、微動だもゆるされなかったものでございます。』

この「お師匠さま」とは、著者の父が選んだ近在の住職である.
今でいう「お稽古ごと」とか「躾(しつけ)」の話ではない、という感じがする.
学問とは、知識を得ることではなく、師と弟子の分をわきまえること、つまり師弟という関係に身を置くこと、なのである.

この師匠も著者の父も、単なる保守的な堅物ではなく、世界の動きをしっかり見ていたようだ.
その父が、異人のように強くなるため、家族で牛肉を食べようと言い出す.
著者が八歳の頃、仏壇を閉じて目貼りをして、異様な雰囲気の中で牛肉を食べたという.
祖母は頑として肉を口にしなかったが、少女は姉と一緒に美味しかったね、というのがおかしい.
肉牛農家には角の生えた子供が生まれるとかの噂もなんのその、かくして牛肉食は日本全国に広まる.
海の向こうから伝えられる、圧倒的な文化の洪水.
このグローバリズムは、遣唐使からペリーの来航を経て、現代に至るまで、めんめんと続いているのである.

飼い犬の「白」に元気がないので、少女は、犬小屋に座布団を敷いてやるのだが、祖母に諭される.
『「白に分を越えたことをしてやっては、大変な不親切になるということがお判りかえ」私はそれが、よくのみこめなくて、びっくりしたような顔をしていたことと思います。
 それからあと、祖母はやさしい調子で犬は畜生でありますから、畜生には畜生の分限があるのです。
 白犬は後の世に、人間に生れてくるとも申します。
 それが、今の世で分限を越えたしぐさをすると、人間に生れかわるのが遅れるかも知れないのですと、説きあかされました。』

これはナンセンスな話だろうか.
近ごろ土手を散歩すると、服を着たペットばかりではない、靴を履いた犬まで出てきて、私なんとも、見てはならぬものを見たような、無惨なものを感じる.
実は、現代人には、命=動物というものが、分からなくなっているのではないか.

江戸時代から続く封建制度が「上下関係を重んじて、個人の自由・権利を軽んずる」からといって、そこで暮らす人々が不幸だったとは限らない.
屋敷にはおおぜいの使用人がおり、同時にだれもが「分」をわきまえていた.
上の者が下の者を蔑(さげす)んでいたわけではない.
それは「身分」というより、責任の分担であり、ある種の生活のけじめだったのだと思う.

著者が13歳のとき、親が決めた結婚相手は、この家の長男がアメリがで知り合った日本人男性だった.
嫁ぐということは、婚家の人間に生まれ変わるということである.
見知らぬ男とアメリカで暮らすということを、この少女はすんなり受け入れる.
彼女は東京へ出て、女学校で英語を勉強し、兄とともに渡米する.
アメリカで2児をもうけ、夫と死別して日本に戻るが、子供が日本の教育で大人しくなってしまったのを案じて、再び渡米する.
この本はアメリカで出版された「A Daughter of the Samurai」の訳書である.

江戸まで、馬と徒歩で1ヶ月かかったという越後は、この少女の時代に鉄道が開通する.
この女性はやがて海を渡り、アメリカで暮らし、その地の夫人たちと対等に語り、生涯の知己を得る.
大きなお屋敷で、父に溺愛されて育った愛らしい子供は、やがて「武士の娘」としての矜持を、自分の心の中に見つけたのだと思う.
それは必ずしも輝かしいものではなく、変貌する世の中で没落してゆく武士階級への悲哀と、ないまぜになっていた.
さらにこの時代、長岡藩は会津藩とともに、反革命勢力だった.
かれらは、明治政府の弾圧の中で、忠義心こそが時代をつらぬくという思いで、生きたのである.
日本人の心の底に、「荒城の月」が、ほのかに光っている.

彼女が渡米したのは西部開拓時代が終わり、アメリカが強大な帝国となり始めた時代、いわば黄金期だった.
現代、かの国の大統領が「Make America Great Again」と唱えているのは、けだし自国民が、自らの人生に誇りをもっているか、と問うているのではないのか.
150年前のアメリカにも日本にも、確かにそれはあったのだ.
いったい世界は、何を失ったのか.


「江戸アルキ帖」

たまたま読んでいた杉浦日向子の「江戸アルキ帖」に、こんな記事があった.

『江戸ッ子は武家風俗をヤボの親玉と見なしている。
 少し堅苦しい言葉使いをしたり、ごてごてしくお洒落をしていたりすると「よせやい、屋敷者じゃあるめいし」と、がまんならないといった風に、顔の前で手をパタパタ振る。
 四角四面で堅くて重たくて立派で偉そうなもの。
 大名屋敷の造りなどは、その最たるものだろう。
 江戸ッ子の住む家は「焼き家造り」と呼ばれる。
 火の粉がパラッとかかれば付け木のように燃えあがる。
 なるほど、軽くて、サッパリとしていて、こだわりがないという点で、イキなのかもしれない。
 霞ヶ関で、奥女中の一行を間近に見た。
 油で塗り固めた髷、綿でふくらんだ裾、すき間なく埋め尽された錦模様、江戸ツ子が「左官(しゃかん)に頼む顔(つら)」と茶化す白壁のような首と顔。
 武家屋敷は軒が深く、採光が悪い。
 それに表と奥の別が厳しく、屋敷内で異性同士が出会うことは殆どない。
 そういう条件の中では彼女らの風俗が妖艶に見えるのだろうけれど江戸の青天井の下では、ひたすら異様だつた。』

あはは、江戸っ子からみれば、大名のお姫様など、ヤボが着物をきているようなものだろう.
ちなみにこの本もいい.
見開きに絵と短い文章が並んでいて、杉浦日向子の、切ないまでの江戸愛に満ちている.



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