2024年12月5日
[映画]

朝、外の道路を掃いている音で目を覚ます.
まだ暗いうちから起きて、歯を磨いて、小さな植木に水をやって、アパートの玄関を出る.
自販機の缶コーヒーを買って、仕事の道具満載の軽自動車に乗りこむ.
高速道路を走って仕事場に向かう.
都内の公衆トイレの掃除が彼の仕事だ.
丹念に黙々と掃除をする.
同僚のタカシ(柄本時生)ともほとんど口をきかない.
昼休みはいつもの神社の境内で、コンビニのサンドイッチを食べる.
木々の木漏れ日をみつめて、小さなフィルムカメラで写真を撮る.
夕方早くに帰ってきて、自転車で、口あけの銭湯へ行く.
いつもの老人たち.
それから、浅草にあるごちゃごちゃした地下街の飲み屋で、いつもの酎ハイを飲む.
寝しなに本を読む.
モノクロの夢をみる.
休みの日は、コインランドリーで洗濯をして、スナックで一杯飲む.
スナックのママは石川さゆり.
写真屋で現像したフィルムを受け取ってきて、気に入った写真を箱に入れる.
押し入れには日付のついた写真箱がたくさんある.
本を読み終えると、古本屋で一冊100円の文庫本を買ってくる.
こんな生活を繰り返す.
家族はいない、らしい.
このアパートは二階屋の棟続きになっているようで、二階が和室、たぶん一階に玄関と台所とトイレがある.
部屋は質素で、テレビもエアコンもないが、古いカセットテープと本がたくさんある.
映画には、このボロアパートと、銭湯とスカイツリーと神社と高速道路と隅田川と浅草の地下酒場と・・
そして驚くべきは、ほとんどシュールともいえる東京の公衆トイレ.
これほど映像的カオスに満ちた都会は、ほかにあるまい.
東京ワンダーランドである.
事件があるといえば、タカシがそのガールフレンド「アヤ」との交際をめぐってドタバタすること.
姪のニコが家出をして、平山のアパートに転がり込んでくること.
ふたりはほんの数日一緒に暮らす.
アパートの前に高級車が止まって、ニコの母ケイコが現れる.
このときの会話で、平山とその父とこの妹とのあいだに、何か確執があったことがわかる.
ケイコは、兄平山の生き方が承伏できないらしい.
ニコは別れ際に平山を抱きしめ、平山は妹を抱きしめる.
「こんなふうに 生きていけたなら」と映画のコピーにあるが、平山は「幸せ」なのだろうか.
ベンダースの発想のもとは、禅宗の坊さんのように、生活の全てを意図的に律すること.
この大都会にそのように生きる者がいる、ということ.
思えばそれは「男はつらいよ」の寅さんと同じで、気の向くまま、気楽であることと同時に、いつどこでのたれ死んでもいい、という覚悟と一緒なのだ.
自分が今日明日死ぬとしたら、ちょっと待って!あれもこれもやり残した・・
ならば今、それをさっさとやりなさい、ということだ.
そして、ここへたどりつく.
私はジャームッシュの映画「パターソン」を思い出した.
観客がこの主人公に魅力を感じるのは、
大きなプロジェクトを成功させるとか、一生懸命働いでお金を稼ぐとか、人のため社会のために何かする、というのでないこと.
あふれんばかりの情報や消費のらちがいにいること.
決して人間嫌いではないけれど、家族をもたないこと.
部屋にテレビを置かないこと・・スマホを持たないこと.
けれど、
この男、自宅でまったく料理をしないらしい.
朝メシ抜き、昼はサンドイッチ、夜は飲み屋、自宅ではカップラーメンしか食べない・・とても健康な食生活とは思えない.
寅さんが料理をしないように、平山が手料理をするというイメージが出てこない.
つまり「健康」のためになにかする、というようなことをしないのだ.
この男が日々くりかえしていることは、何かのため、ではない.
私は、この男の「孤独死」を想像してしまう.
平山はニコの写真も撮ったが、現像したその写真には興味がなさそうだった.
彼の死後、押し入れの箱に入っていたのは、たくさんの木漏れ日の写真・・
冒頭から、主人公はほとんど無言.
車中でアニマルズの「朝日のあたる家」が流れて、なぜか私は涙がこみあげてきた.
実は後半に出てくる平山の会話は、あまりおもしろくない.
この映画の最後に、スナックママの元夫(三浦友和)という人物が現れ、平山と「影踏み」などするのだが、このシーンはどうにも居心地がわるい.
ベンダースは「
アメリカの友人」のように、
どうしても彼の映画に特有の「人間関係の不得要領」を入れたかったのだろうが、
姪っ子が去ったあと、車を運転する主人公の顔を延々と映して、エンド.
映画としてはそのほうがいい.