錆びたナイフ

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2024年1月31日
[本]

「自由と進化」 エイドリアン・ベジャン


「自由と進化」



「コンストラクタル法則による 自然・社会・科学の階層性」というのが副題.
「コンストラクタル法則」というのは「生物・無生物を問わず、すべてはより良く流れるかたちに進化する」という画期的な物理法則・・らしい.
自然の動きと社会の動きには似ていて、どちらもこの「法則」で説明できると、著者はいう.

『進化は自然を特徴づける現象だ。どこを見ても、目に入るものはみな進化している。なぜなら、自由に動き、形を変えることができるからだ。
 変化する自由がなければ、何一つありえない。 デザインも、進化も、ひいては未来までもが。
 自由はいたるところにある。なぜなら、進化(デザインの変更)は、無生物、生物、人間の各領域の、いたるところにあるからだ。
 それにもかかわらず、自由は進化とは違って、科学の対象とされていない。これはおかしい。私はそう思った。』

これが冒頭の文章.
自然を対象に「進化」という言葉を使えば、それは生物学の「進化論」のことと思うのだが、無生物も「進化」するという話は聞いたことがない.
するとこれは、「進化する洗濯機」といったたぐいの話か?
いやいや「自由は進化とは違って、科学の対象とされていない」というのだから、著者は「進化」を「科学の言葉」のつもりで使っている.
この著者は「進化論」を理解していないのである.
「自由」が「自由意志」のことなら、川や雲に「自由意志」はないだろう.
いったい「変化する自由」とは何のことか.
川には下流に向かって流れる「自由」がある?
のっけから、著者のいっていることはどうもよくわからない.
この書には図もグラフも数式も出てくるが、著者の説明はひどく大雑把だ.
ひとつひとつの言葉の意味が「スカスカ」なのである.
もし「自由」や「進化」という言葉を、従来と違う意味で使うのなら、その定義をきちんと説明すべきである.

『(自然も人間社会も)力が働かなければ何一つ動かない。
 押すには力が必要で、力は、機械の場合は燃料、動物の場合は食物に由来する。
 自然の系は、いったん動きだすと、より楽に流れるために絶えず自らの配置を進化させる。
 進歩は、ゴールをフィールドの先へ先へと移していくものだ。
 系は進化し、発達し、より効率的になるにつれ、より複雑にもなる。
 それはなぜか? 合わさり、いっしょに動く(流れる)ほうが、個別に動くよりも必要とする力が少ないからだ。
 これが「規模の経済」の物理的基盤であり、その最も明白な表れが社会的構成だ。』

まあなんと、無内容で空疎な文章か.
確かに機械は燃料で動くが、動物は食物で動くわけではない.
あえていえば、動物は自らの意志と衝動で動くのであって、そもそもライオンは「飢えない」ためにシマウマを襲うわけではない.
生き物を駆り立てる「チカラ」を、著者はどう理解しているのか.
単にATPという分子の化学反応だ、と考えているのだ.
「すべてはより良く流れるかたちに進化する」の「より良く」とはいったいなんのことか.
細い水道管より太い水道管の方が効率が良いので、社会も自然もその方向に「進化」するというなら、蛇行する川やヘラジカの角やクジャクの羽根の、どこが「効率が良い」のか.
いつか死ぬ生物にとって、「効率が良い」とは、いったいなんのことか.
なぜ、自然と科学を論じる文の中に「良い、悪い」というニンゲンの価値観が入ってくるのか.

この著者が「進化」といっているのは単に「変化」のことだ.
それを「進化」と呼ぶのは、その「変化」が「目的」を持っていると、著者が思い込んでいるせいだ.
「進化」は「進歩」ではない、というダーウィンの基本的な発想が、著者には理解できない.
川は平野を「自由」に流れているわけではなく、物理法則に従って流れている.
著者はまるで「物理法則に従って流れる」という自由がある、と言っているようだ.
人間も宇宙も、万物は「物理法則に従っている」のなら、所詮「物理法則」を超えた「自由」など存在しない.
「進化」とは何か、「自由」とはなにか、「チカラ」とはなにか、という問いは、この著者が考えているより、はるかに深い意味をもっている.
『科学が「自由」を対象にしない』のは、世界を支配しているのは「自由」ではなく「不自由」だからである.
「Es muss sein!」(こうでなければならない) 、と言ったのはベートーベン.
なぜ世界は「こうでなければならない」のか.
それを問うのが「科学」であり、「なぜ世界はこうでなければならない、と考えるのか」と問うのが哲学だ.
この書には「科学」も「哲学」もない.

私は、新聞や雑誌の書評で気になった本をメモして購入するのだが、この書は、表題も表紙の装丁も実に魅力的に思えた.
一般向けの本は、学術論文のように、論理と数式を積み上げればそれでいい、というわけではない.
結局読者は、著者の世界観やひとがらを読んでいる.
読書とは、そういうものだ.
だから、この著者が専門分野で大きな業績をあげているのだとしたら、その分野はホントにまっとうなのか?、という気がする.
科学に基づいた「××法則」が、自然や人間社会の動きを解析し予測できることは、たいしたことだが、
科学法則を知ることが、自然と社会を理解することにつながる、とは限らない.
この本を読むとそれがよくわかる.

科学と技術が先鋭的に進歩してゆくにつれて、かつて人間が総体的にとらえていた世界像が退行してゆく.
人間には、どんどん、世界が、わからなくなっていく.
科学者を自認する人たちほど、そのドツボにはまっているのではないか、という思いにかられる.



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