錆びたナイフ

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2023年6月5日
[本]

「初期万葉論」 白川静


「初期万葉論」



『軽皇子(かるのみこ)安騎野(あきの)に宿りましし時、 柿本朝臣人麻呂の作れる歌
 東(ひむかし)の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ』
これは情景を歌ったものではない、と著者はいう.

軽皇子は、天武・持統の皇孫にあたる人物で、のちに即位して文武天皇となったが、この歌の時期に天皇ではない.
著者は、軽皇子が天皇の後継者であるという宣言として、安騎野の冬猟があり、そのためにこれらの長歌/短歌が生み出されたという.
天皇の権威の根源は自然の中にあり、それを呼び覚ますための行事が、冬猟なのである.
この書には、死者の魂を求めて「山尋ね」する「魂乞(たまこ)ひ」の儀礼とか、「旅宿り」「禊(みそ)ぎ」「国見」「魂振(たまふ)り」といった言葉が出てくる.
我々現代人には、なんのことかわからない.
「野宿」することに、儀礼的・呪術的意味があるのか?
人麻呂がこの冬猟に参加したのは、おそらく持統七年(693年).
1,330年前、古代人が何をどう思ってこれらの歌を残したのか.
その真意の理解とは別に、この歌は心に残る.
それはなぜなのか.

『前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。
 自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えられていたのである』
『新しい土地に入るときに、その地霊に対してどのように慎重な手続きを要したかは、わが国の序詞や枕詞の起原が、地霊に対する呪語に起源するといわれていることからも知られよう。
 万葉の旅歌においても、そのような地霊にいい聞かせることばにみちているのである 』

「道」という字は、異族の首をさらしてその土地の邪霊を祓い清めて進んだところ、と喝破したのが、この著者白川静である.
要するに当時の歌は「呪文(じゅもん)」なのであり、単に客観的な情景を歌ったものではないらしい.

「見れど飽(あ)かぬ吉野の河の常滑(とこなめ)の絶ゆることなくまた還り見む」
「山川も依りて仕ふる神ながらたぎつ河内に船出せすかも」
人麻呂が吉野を歌ったこれら反歌について、
『「見れど飽かぬ」、また「絶ゆることなくまた還り見む」と、ひたすらに「見る」という行為に表現を集中しているのは、その「たぎつ河内」が、「山川も依りて仕ふる神ながら」な聖地であり、そこは持統(天皇)が年に数回もその天皇霊を祓い清めるために赴いて、神事を行なう場所であったからである。
 ここにも叙景的意識は全くない 』
ここにあるのは、山川讃歌の定まった呪的表現であり、その状態が永遠に持続することをねがう呪語であり、その永遠性をたたえることによって、その歌は魂振り的に機能する、と著者はいう.
要するに、活力を失った魂を、山や川で再生しようとしているのである.

「ささなみの志賀の辛埼幸くあれど大宮人の船待ちかねつ」
「ささなみの志賀の大わだ淀むとも昔の人にまたもあはめやも」
『「辛くあれど」 「大わだ淀む」 というのは、地霊に対する慰撫を含む表現であろう。
 しかし「昔の人」である「大宮人」はここに船出することもなく、 また逢うこともない。
 それは滅びたものに対する弔魂のことばである。
 これらがいずれも鎮魂のための呪歌であることは、同じく人麻呂作歌とされる
「淡海の海夕浪千鳥汝が鳴けば情(こころ)もしのに古念(いにしへおも)はゆ」
 この「夕千鳥」には、鳥形霊のおもかげがなお残されている 』
かつて「鳥」は死んだものの魂であり、鷹狩りの鷹は、魂の行方を求めて空に使いするものであった.

『人麻呂は古歌謡の伝統に立って、その呪的儀礼歌を宮廷文学として完成させた人であり、またその文学は、その死とともに終っている。
 人麻呂はその様式の完成者であり、また同時に最後の歌人であった。
 その文学が、旅人、憶良、家持らの後期の文学と甚だしく異質なものであることはいうまでもないが、それはそのような文学を生んだ文学的基盤、また生活者としての時代意識の相違が、すでに異質なものであったことを示している 』

死者を悼(いた)む挽歌をとおして、やがて歌は、個人の感情を表現する抒情歌となる.

『自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった 』 
私は、ハイデガーを思い出した.
『世界内部的に出会われるものが、配慮的に気遣いつつある配視、つまり斟酌することによって、おのれの存在において解放されているということ」で、「世界は道具的存在者を出会わせうる』(「存在と時間」)
「よく見る」ことで、世界は生まれる.
これは、人間の認識の根源である.
同じ景色を見ても、古代人は現代人と違った世界を見ていた.
人間の網膜に映ったものが「もの」ではない.
景色とは、そこにあるものではなく、魂に映じた世界であり、「人間」も、その世界の中に形作られる.
同時に「見る」という行為は、対象を呼び覚ます行為であり、さらに、見ることは、名づけること、名を知ることにつながる.

「籠(こ)もよ み籠もち 掘串(ふぐし)もよ み掘串もち この岳(おか)に 菜摘ます児 家聞かな 名告(なの)らさね
 そらみつ 大和の国は おしなべて われこそ居れ しきなべて われこそませ われこそは 告らめ 家をも名をも」
どこやら童歌を思わせる、雄略天皇のこの巻頭歌は、世界の「存在」と「認識」の核心を示唆している、と私はおもう
万葉人は、この世界の成り立ちを、よくわかっていたのである.

『万葉の前期は、制作と伝承の場としての集団性、歌の機能としての呪歌性がなお著しい時期であり、その時期の歌はその視点から理解し鑑賞すべきものであると思う 』
これが著者の基本的な主張だ.
学問としてはそのとおりだろうが、時代を越えて万葉集を写本し続けてきた人々が、常に当初の「呪歌性」を正しく理解していたわけではなかろう.
その意図はすっかり失せたとしても、人々は、これら言葉のもつ「ちから」に魅せられたのである.

文学としての文章は、表現する対象と自己表現とを同時にそなえている.
時代を経て、表現する対象の意味や意図が変貌しても、その歌に魅力があるのは、作者の自己表現が生き残っているからである.
そして言葉には、かつて作者が世界に呼びかけ世界が応えた「認識」の核が、生き続けている.
それは、「言霊」とも「呪語」とも呼ばれる.
現代とは、呪語が急激に消滅していった時代だが、「河童」も「座敷童」もいなくなったのではなく、いない世界を人間が作っているのだ.
自然言語は、プログラム言語とは違う.
言語は、現代においても、呪語でありうる.
それは、単なる「意味」ではなく、「魂の声」なのだから.



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