錆びたナイフ

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2021年9月5日
[本と映画]

「竹取物語」
「かぐや姫の物語」 2013 高畑勲


「竹取物語」

「かぐや姫の物語」



『今は昔、竹取の翁(おきな)といふものありけり。野山にまじりて竹を取りつつ、よろづのことに使ひけり。
 名をば、讃岐の造(みやつこ)となむいひける。』
原作は、日本最古の物語、作者不詳.
高校一年生の古文の教科書にも出ていた.
映画は、2018年に亡くなった高畑勲、最後の監督作品.

あらためて原作を読むと、なかなかおもしろい.
輝くように美しいかぐや姫は、自他ともに「変幻(へんぐゑ)のもの」と自覚していて、人間と結婚する気など毛頭ないのである.
五人の求婚者に、無理難題をふっかける.
いわく、
「仏の石の鉢」、「蓬萊(ほうらい)の珠の枝」、「火鼠の皮衣」、「龍の頸の珠」、「燕の子安貝」を持ってきて!
五人の男たちの悪戦苦闘とその顛末は、痛快.

庫持の皇子(くらもちのみこ)が「蓬萊の珠の枝」を手に入れたと参上する.
まさか!とびっくりする姫.
『ものも言はで、頬杖(つらつゑ)をつきて、いみじく嘆かしげに思ひたり。』
『翁は、閏(ねや)のうち、しつらひなどす。』
あはは、姫、絶体絶命.
するとそこへ、蓬萊の珠の枝を作ったという職人が、賃金を払えと登場し、皇子の企みは暴露されてしまう.
結局、五人とも敗退.

そして登場するのが、帝(ミカド)である.
地上の最高権力者であるこの男にも、姫はなびかない.
宮廷に上がるくらいなら『死ぬばかりなり』とまで言う.
ますます興味を持った帝は、近くまで来たからと、強引に姫の家にあがりこんで対面する.
実は、巷で美しい姫と噂されながら、実際に姫を見た男は、この帝以外にないのである.
帝が姫を連れて行こうとすると、その実体は「影」になってしまう.
かぐや姫は、3Dホログラムなのである.

月を見て嘆く姫.
この時代、女性が月を見ることは、忌むべきことであった.
姫は、自分が月の住人であり、罪を得てこの地球に流されていたのだと、翁に告げ、
やがて八月の十五夜に、月から迎えがくるという.
月の都は美しく、人は不老不死で、悩み事もないらしい.
姫は、親と思う翁(おきな)嫗(おうな)とともに、地上に留まりたいのだが、それはできないのだという.
やってきたのは「未知との遭遇」のマザーシップかと見紛う、圧倒的な光の洪水.
『かかるほどに、宵うち過ぎて、子の時ばかりに、家のあたり、昼の明かさにも過ぎて、光りたり。
 望月の明かさを十合せたるばかりにて、ある人の毛の孔さへ見ゆるほどなり。
 大空より、人、雲に乗りて降り来て、土より五尺ばかり上がりたるほどに、立ち列(つら)ねたり。』
地球人が用意した武器は、何の役にも立たない.
浦島太郎の竜宮城もしかり、極楽浄土は、人知を超えた条理でできているのである.

「竹取物語」を「かぐや姫の物語」とした高畑のアニメ映画は、「人間かぐや姫」を描いている.
最初9cmだった女の子は、みるみる成長し、三ヶ月でふつうの背丈になる.
『この児の容貌(かたち)のけうらなること、世になく、家の内は、暗き所なく、光り満ちたり。
 翁、心地あしく苦しき時も、この子を見れば、苦しきこともやみぬ。』
映画は、この三ヶ月の成長を、愛らしい赤ん坊と、野山で遊ぶ元気な子供というふうに描いている.
そしてそれが、その後のかぐや姫自身の、かけがいのない思い出になる.

『翁、竹を取ること久しくなりぬ。
 勢ひ猛(まう)の者になりにけり。』
翁の切る竹の中から、黄金が出るようになって、この老夫婦は金持ちになり、都に豪邸を作ってそこに住むようになる.
都に行くことは、姫の望んだことではないのだが、翁は、貴族と結婚することが姫のしあわせだとかたく信じている.
映画はこの、親子の気持ちのずれに、テーマを移している.
家庭教師がついて、かぐやを教育する.
高貴な姫君は、眉毛を抜いたり、お歯黒を塗ったりするのである.
平安時代の貴族の生活ぶりというのは、原作にはない、そこが面白い.

命名式というお披露目宴会で、口さがない人々の興味にさらされ、ぶちきれた姫は、都を飛び出し、野原を疾走する.
まるで鬼のような形相.
激しい筆タッチそのものの、この戦慄すべき映像は、人間への強烈な愛憎である.
しかし、故郷にはもう、だれも知る人がいなかった.
それからかぐや姫は、人が変わったように、従順になる.

五人の求婚者のうち、「燕の子安貝」の中納言の話はもっとも悲惨で、
燕の巣がある塔から落ちて大怪我をする.
姫のお見舞いの歌.
『年を経て波立ち寄らぬ住の江の
 まつかひなしと聞くはまことか』
松/待つ、甲斐がない/貝が無いのか、という姫君.
中納言は、
『かひはかくありけるものをわびはてて
 死ぬる命をすくひやはせね』
という歌を返して死んでしまう.
『これを聞きて、かぐや姫、少しあはれと思(おぼ)しけり。
 それよりなむ、少し嬉しきことをば、「かひあり」とは言ひける。』
原作は、こんなふうに、逸話の結末を、言葉の遊びでしめくくる.
映画の作者は、それちょっとひどくない?、と感じたのだろう.
五人の男たちは、必ずしも誠実ではなかったが、それぞれ必死だったのである.
自分の無理難題にいどんで、男が一人死んだ.
映画のかぐや姫は、自分を責める.
姫は、この地上に住むことそのものが、自分の罰であり同時に罪でもあると、悟ったのである.

十五夜、阿弥陀仏の来迎図か、ディズニーランドのパレードか.
みょうちきりんな音楽を奏でながら、雲に乗って、月の人々がやってくる.
別れを惜しむ姫に、月人が言う.
『さぁ、まいりましょう
 清らかな月の都へお戻りになれば
 このように心ざわめくこともなく
 この地の穢(けが)れもぬぐいされましょう』
姫が言う.
『穢れてなんかいないわ
 喜びも悲しみも、この地に生きるものは・・
 鳥、虫、けもの、草木花、人の情けを・・』
天衣をまとった姫は、フイと地上のことを忘れる.
MIBの記憶消去ツールみたいなものである.
記憶を消しほしいのは、残される老夫婦の方だろう.

「死」が穢れであるか、清浄であるか.
「生」が喜びであるか、おぞましいものであるか.
「記憶」が、喜びであるか、苦痛であるか.
その思いは、赤ん坊と老人に似ている.
『めぐれ めぐれよ はるかなときよ・・
 とりむしけもの くさきはな
 ひとのなさけをはぐくみて
 まつとしきかば いま かへりこん』
待っているのは、地上の人でも月の人でもない、過ぎ去った時間だ.
かぐや姫は、実は、急激に老化していたのではないか.



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