2021年5月30日
[講義]

インターネットで、東京大学の講義を聴くことができる.
これは『2017年度学術俯瞰講義「物質のはじまりとはたらき ―フェムト、ナノ、エクサの世界」』と称するYoutube番組のひとつ.
新入生向けの「物理学へのいざない」といった趣向で、私のような素人が聴いてもよくわかる.
須藤教授の約100分の講義は3回分あり、現代物理学の驚異を語るだけではない、科学的な世界観というものを提示していて、実におもしろい.
「フェムト、ナノ、エクサ」というのは、10の-15乗、-9乗、+18乗という「大きさ」のこと.
物理学が対象とするこの世界は、量子論の-30乗から、宇宙論の+30乗まで、大きさの幅がある.
それらは「階層構造」をもっていて、あたかも自分の尾を呑むウロボロスの蛇のように、量子と宇宙はつながっているのだという.
アインシュタインの相対性理論が、水星の近日点移動を説明した話とか、彼の死後、理論でしかなかった重力波を、アメリカの重力波望遠鏡が検出した話とか、科学史の有名な事件は、何度聞いてもエキサイティングだ.
科学に裏付けられた技術の進歩が、実験や観測に桁外れの精度を実現し、数式で現された理論と観測値が見事に一致するという、この興奮は科学の醍醐味である.

「科学」という「学」のもとはギリシャ時代からあるが、ここ数世紀、特に最近100年の物理科学の進歩はすさまじい.
「宇宙史における4つの相互作用の分化」という上図のすごさよ.
宇宙誕生時の0.000‥何秒後の状況を、理論的に推定している.
これは、加速器を使った実験でも裏付けられているという.
まさに現代物理学の勝利である.
自然界は4つの力で説明できると物理学はいう.
教授は、その力の大きさや到達範囲が異なること、特に「重力」が異常に小さいことは「ヘン」なのだという.
しかしそのアンバランスが、この世界の安定を実現しているという.
ふ〜む.
もし、4つの力がそれほど異なっていない場合を想定すると、星が生成されない、生命が生まれない、という世界ができあがるらしい.
『知的生命体がいるこの宇宙は、へんな宇宙』なのである.
この世界の4つの力のありようそのものが、結果的に我々を生み出した.
同時に、我々が産まれたから、世界はこのように観測/解釈されたという、これはいわば「人間原理」である.
物理学の背後にこの「人間原理」という「穴ぼこ」があるのだが、学者たちはあまり気にしていない.
教授はそれを「へ理屈」と呼んでいる.

よく見る宇宙膨張の上図について教授は、理論的には正しいが見方としてまちがっているという.
遠くの宇宙を観察することは過去の宇宙を観察することになるが、過去にさかのぼることで、天体が一点に収縮するわけではない.
つまり、観測者はこの釣鐘型宇宙の中にいるわけだから、一点に収縮する状態はみえないし、宇宙に外側があることも見えない.
なるほど、目からウロコ、この図の観測者の視座はありえない、のである.

138億年前のビッグバン直後の、わずかな温度のゆらぎが、星を生み、元素を生み、銀河を生み、地球と生物と、現在の人間社会を生み出した.
現代社会のスマホはまさに、人間が生み出した物理法則の上に成り立っている.
しかし私はこの図をみて、ぎょっとしたのである.
赤ん坊もまた、「物理法則に従っている」のだろうか.
物理学は、実験と観察とを繰り返すことでより正しい理論を築き上げ、人間は深く宇宙を理解できるようになった.
須藤教授にとって、物理学は、世界を正しく理解する唯一のキーワードなのである.
しかし、人類の歴史は数百万年、「科学」なしでも「赤ん坊を理解」してきた.
科学のいう「理解する」というのは、いったいなんのことか.
『世の中の本質的なことは全て物理法則によって説明できる
ただし、初期条件を正確に推定できない場合はこの限りではない
また現在、物理法則の全てが解明されたわけではない』
『我々が未熟なので、生命と知性、技術と社会の誕生を、物理で説明できないが、
いつかはできる』
というのが、教授の確固とした信念である.
赤ん坊の原理を表す方程式がいつか発見されるというのは、私には想像できない.
自然を見渡してみればわかる.そこに「数」など存在しない.
親鳥はヒナの数をかぞえたりしない.
「数」があるのは人間の思考の中だけであり、その思考は人間同士の共通の基盤をなしている.
数学で記述するという科学の基盤は、人間の思考の中にしかない.
しからば、この図から赤ん坊を除いたとしたら、「宇宙は物理法則に従っている」という言説は正しいようにみえる.
しかし、この図の作成者と理解者が人間であることに変わりはない.
この図の視座は、ありえないのである.
須藤教授は、科学者として充分謙虚に、かつ大きな自信を胸に、新入生に向かって「物理っておもしろいでしょう、すごいでしょう」と言いたいのだ.
私も、そのとおりだと思う.
しかし同時に、こういう数式や理論の知識を得ることが世界を理解することだというなら、それはちがう.
縄文人とスマホを持たない現代人とを比べてみたら、縄文人の方がはるかに自然を理解しているだろう.
ピュシス(自然)は、ロゴス(理論)では理解できない.
そんなことはない、世界を見まわしてみたまえ、科学の勝利はまちがいない.
いやそうではなく、物理法則が世界を支配していると信じることそのものが、人間を変える.
時計を分解しても、時間とは何か、わからない.
生き物を解剖しても、生命とは何か、わからない.
科学が発展すればするほど、人間は、世界がわからなくなる.
その前哨として、人間は人間がわからなくなる.
教授は、たとえば人類が消滅したあと、新人類に残す一言があるとしたら、「すべては素粒子からできている」という物理学者ファインマンの言葉を紹介している.
それがアイロニーではないのなら、その言葉があらわすのは「科学という学問の貧しさ」である.
宇宙に関する物理学など、実生活にはなんの役にも立たない、と教授は断言する.
だからこそ素晴らしい、と教授は言いたいのだ.
私は思う、物理学を研究するという人間が現れ、それを生業とし、家族を養い、その業績が社会から一定の信頼を得るという、そういう人間社会の有様のほうが、はるかに不可思議だと.