錆びたナイフ

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2020年11月18日
[本]

「人体600万年史 上下」 ダニエル・E・リーバーマン


「人体600万年史」



進化生物学という観点から、人類の歴史を丹念にたどって、これほど広範な知見と深い洞察力をもった本を他に知らない.
まさに人類史の教科書と言っていい.
ユヴァル・ノア・ハラリの「サピエンス全史」も、この本を元にしているのではないか.

人類の歴史を語るということは、進化を語ることである.
「進化」という今や呪文のような言葉に、著者はこう言う.
『自然選択は実質的に、「完壁」には到達できない。
 なぜなら環境がつねに変化しているからである。
 したがって各個体の適応というのは、時々刻々と変化する果てしない妥協の連続の不完全な産物なのだ』

人類史とは、類人猿が進化して、直立二足歩行をし、自由になった手で道具を使い、大きくなった脳で言語や文化を生み出した、というような単純な話ではないらしい.
『最古の石器は、二足歩行が進化してから何百万年も経たないと出現しない』と著者はクギをさす.
『最初の二足歩行者は、両手を解放するために二足で立ち上がったのではない。むしろ、より効率的に食物を集めるため、歩くときの燃費を減らすために直立するようになったのだろう』
著者の文章はわかりやすく、説得力がある.
『ホモ・エレクトスも現代の狩猟採集民と同じように生活していたのであれば、250平方キロメートル から500平方キロメートルの広さの土地に、25人ほどの集団で暮らしていたと推測できる。
 ホモ・エレクトスの平均人口成長率は年間およそ0.4パーセントで、人ロが倍増するまでにかかる時間が175年、そしてわずか1,000年でホモ・エレクトスの人口は50倍以上に増加する』
こういう話の展開が実におもしろい.
人類が世界に広がった理由は、好奇心や冒険心ではない、狩猟採集民の生活圏として広大な土地が必要だったのである.
25人分の生活圏が500平方キロなら、東京23区より少し狭い・・今やそこに1,000万人が暮らしている.
この超過密状態のもとは、1万年前の農業革命である.
農業と牧畜は、人類の人口を飛躍的に高めたが、同時に飢餓や感染症を広めた、と著者はいう.
しかし、人口が増えることで都市や広範な文化圏が生まれ、科学や医療が進歩してそれらの問題を解決したではないか.
いや、そうとは限らないのだ.
『進化はそもそも人間を狩猟採集民として生存し、繁殖するように適成応させたのであって、農民や工場労働者やホワイトカラーになるよう適応させたのではない』
この書のテーマはこれである.
表題は「人類」ではなく「人体」、副題が「科学が明かす進化・健康・疾病」とあるように、この書の後半は、現代人の生活環境が、その身体の構造からいかにかけ離れているか、という話である.

『天然痘、ポリオ、ペストといった主要な感染性流行病のほぼすべては、農業革命が始まったあとに起こっている。
 逆に現代の狩猟採集民についての研究を見ると、狩猟採集民は余剰の食料こそ持たないけれども、飢離や深刻な栄養不良に苦しむことはめったにない』
『近年の狩猟採集民は必ずしも一般に想像されているような不潔で野蛮な生活をしてはおらず、短命でもない。
 幼児期を無事に生き延びられた狩猟採集民は、 概して長生きする』
『大半の(狩猟採集)人の死亡原因は、胃腸か呼吸器への感染症、マラリアや結核などの病気、さもなければ暴力や事故である』
読者は、石器人には虫歯がなかったという化石の写真を見せられる.

現代人の不健康は、そもそも農業と都市生活が生み出した.
それは、心臓病や一部のがん、骨粗犠症、2型糖尿病、アルツハイマー病、虫歯や慢性的な便秘、近視、扁平足、不安障害や抑うつ障害等々、伝染しないいわゆる「生活習慣病」である.
人体の進化に即したこれら現代病の解説は詳細で、反論の余地はない.
ちまたにあふれる健康本の総元締めといいたいほど、説得力がある.
著者は、狩猟採集時代に戻れというのではない、現代人の不健康は明らかに改善可能なのだと主張する.
タバコの販売を法律で規制しているのなら、ジャンクフードも規制すべきだという著者の主張は、もはや悲鳴に近い.
今や人類は、その身体の進化を裏切り、ひたすら不快を避け、快適を求めてやまない.
『炭酸飲料、フルーツジュース、キャンディなど、糖がたっぷり入った食品はすべて禁止され、ポテトチップ、白米、白パンなど、糖質が中心の食品も同じく禁止される。
 スァストフード店のオーナーは刑務所に送られ、喫煙者も大酒飲みも、既知の発がん性物質や毒素で食品や空気や水 を汚染する者もすべて同様に投獄される。
 トウモロコシを栽培する農家にはもはや助成金が支給されず、ウシは牧草か干し草で育てなければならない。
 国民全員が一定の養生法を義務づけられ、毎日の腕立て伏せと、週に150分間の激しい運動と、毎晩8時間の睡眠と、定期的な歯間掃除を順守しなくてはならない』
半ば冗談めかしているが、これが著者の理想とする社会である.
その切実さはともかく、これが現代人類の最大の課題というなら、なんだかとても可笑しい.
これらを実現できるのは、科学でも知性でも政治でもなく、宗教だろう.
甘味と怠惰は、悪魔の囁き.
ジャンクフードを食らうものは、地獄へ落ちよ.
だからもちろん、天国にはコーラもポテトチップもない.

著者が求めているのは、心身ともに「健康」であることだ.
しかし『進化の観点から言えば、最適の健康などというものは存在しない』ともいう.
ではいったい「健康」とは何か.
『自然選択は、・・不運にもほかのものより適応度が低かったものを排除するだけだ』
不運な者を助けるという発想は、進化からは生まれないのだ.
『「人間は何に適応しているのか」という問いに対する答えは・・人間はとにかくできるだけ多くの子や孫や曾孫を持てるように適応している、となるだろう』
では、衣食住足りて人口が減少する先進国があるのはなぜか.
『結果として、私たちはときどき患うことになる。
 なぜなら自然選択にとっては健康よりも繁殖力のほうが重要だからで、私たちは健康になるために進化しているわけではないのである』
何やらみもふたもない.
著者がこうして、進化の事実を語れば語るほど、ニンゲンのありさまは、その想像を超えてゆく.
リーバーマンは、途方に暮れている.
私は思う、そもそも健康は病気の、死は生の、反語ではない.
人間は、自然選択では決して実現できない社会を作ろうとしている.
進化生物学は、人類の解析はできても、人間を理解することはできない.

著者の考える理想の人体は、例えばアフリカの遊牧民マサイ族ではないだろうか.
スリムな体型と強靭なスタミナを持つ彼らの中に、腹の出た中年や、腰の曲がった老人はいない.
しかし、今やケータイを持ったマサイ族というのも・・いるに違いない.
人類が単純な石の槍先を使い始めたのは50万年前、日常的に火を利用するようになって40万年、弓矢が発明されたのは10万年前という.
人類史で道具を使うようになったのは、ごく最近のことなのだ.
人類は何百万年の間、ただ立って歩くサルに過ぎなかった.
そのサルがケータイ/スマホを持って歩くようになったのは、ここ20年ほどである.
この激変は、尋常ではない.

現存するすべての人間は、10万年前から8万年前くらいにアフリカを出て世界中に分散した人類の末裔だという.
すべてはアフリカから始まった.
『ある計算によれば、今日の人間全員の祖先は、サハラ以南のアフリカ出身の1万4000人足らずの繁殖個体の集団で、非アフリカ人のすべてを生んだ最初の集団は、おそらく3000人以下だったとされている』
これを聞けば、現代社会の人種差別など、お笑いぐさである.
『もしも地球上に唯一残ったヒトの種がネアンデルタール人やデニソワ人であったなら、彼らはいまでも狩猟採集をしながら、10万年前とほとんど変わらない暮らしをしていたのではないかと私は思う』と著者はいう.
そのネアンデルタール人は、
『たとえば骨角器をほとんど作らなかったから、動物の毛皮で服を作っていたはずなのに針をこしらえていなかった。
 死者の埋葬は単純で、芸術のような象徴的な行為の痕跡もまったくといっていいほど残していない。
 彼らの生息環境の一部には魚も甲殻類もふんだんにいたのに、どちらもめったに食べなかった。
 原材料を25キロメートル以上運ぶこともほとんどなかった』
この地球にネアンデルタール人が生き残ったのなら、環境破壊も感染症のパンデミックもなかっただろう.
かれらは4万年前に絶滅した.
が、ホモ・サピエンスは、そうではなかった.


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