錆びたナイフ

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2020年10月21日
[映画]

「1917 命をかけた伝令」 2019 サム・メンデス


「1917 命をかけた伝令」



第一次大戦のヨーロッパ西部戦線.
イギリス軍の若い兵士スコフィールド(ジョージ・マッケイ)とブレイク(ディーン・チャールズ=チャップマン)が、通信の途絶えた最前線の部隊に、攻撃中止命令を伝えるという任務を与えられる.
その命令が伝わらなければ、明朝出撃予定の前線兵士1600人が全滅する、という.
その部隊にはブレイクの兄が従軍している.

冒頭、上官の指示で将軍に会い、命令を受け取り、兵士たちであふれる塹壕を延々と走り、戦闘の最先端から地上へ出ると、砲撃で荒凉とした大地がひろがる.
バリケードと死体が転がるぬかるみを突っ切って、無人のドイツ軍基地にたどり着き、その塹壕で爆発があってスコフィールドが土に埋まるまで、27分間ノーカット、のようにみえる.
役者にとっては、始まったら止まらない演劇と同じだが、映画のスタッフにとってこれは尋常ではない.
広大で精密なオープンセットと、周到な準備と、卓抜なカメラワークが、圧倒的な映像を生み出した.

ほぼ一日分の物語が、2時間弱の映画になっているので、全編ワンカット、というわけではない.
カメラを防振装置に装着し、それを持ってカメラマンも走る.
状況に応じてカメラを手渡したり、クレーンに乗せたりするのだろう.
主人公たちと一緒に輸送トラックに乗り込んで、また降りる.
どう見てもカメラマンが通る隙間さえない場所も、カメラは通る.
カメラの動きに合わせて、セットを分解した‥?
兵士の死体に群がるカラスやネズミは、CGか?
「映像」は、撮影する対象つまり役者と、カメラマンの視点が、一体となったものである.
観客は常に、役者の背後にカメラマンの存在を見ている.
そのカメラは、執拗に、主人公二人を追いかける.
観客は否応なく、この映像のベルトコンベアーに乗せられる.
まるでディズニーランド「パイレーツオブカリビアン」のゴンドラに乗っているようだ.
周囲の景色がめまぐるしく変わるこの映画の疾走感は、現実感というよりゲームに近い.

スコフィールドが川に飛び込むシーンが、スローモーションになる.
延々と積み重ねた時間が、フワッと飛んだように見える.
これは、夢か、と思う.
ドイツ兵に刺されてブレイクが血を流す.
スコフィールドの腕の中で、ブレイクの顔が次第に青ざめてゆく.
ワンカット撮影の中に、どうやってこんな特殊効果を仕込むのか.
見ているうちに、映画の制作そのものが、夢の中のできごとのような気がしてくる.
常識を超えたカメラの動きは、人間ではなくまるで「神」の視点のようだ.
これは「リアル」なのだろうか.
映画のリアリズムとは、いったい何だろうか.

スコフィールドにこの任務が与えられたのは、たまたまブレイクの隣にいたからだ.
最前線に兄がいるブレイクとは違う、自分はなぜこんな危険な任務に挑むのかといぶかりながら、この男は、ついにそれを成し遂げた.
このふたり、饒舌なブレイクと、ヌーボーとしたスコフィールドのコンビには、英国の若者らしい魅力があった.
スコフィールドは、ブレイクの兄を探して、遺品を渡す.
最後にこの男、家族の写真を取り出して、一仕事終わった、という顔をする.
しかし、戦争が、終わったわけではない.

塹壕にひそむ主人公の若い兵士が、ふと目の前の蝶に手をのばした時、狙撃される、衝撃的なエンディングの「西部戦線異状なし」(1930)を思い出す.
「1917」は、メンデス監督の祖父が語った話を元にしたという.
100年前の戦争の再現は、現代の高度な技術と莫大な制作費とで成り立っているが、この映画のスタッフにも観客にも、当時の戦争を体験したものはいない.
この作品のストーリーは、例えば「プライベート・ライアン」(1998)のように、ある戦争のひとコマにすぎないのだが、この映像は、全く別の「体験」を生み出した.
映画はもはや、物語ではなく、体験なのだ.
奔流のような時の流れは、まるで無意識の底にある、死後の世界をみているようだ.
我々は、それを何度もたどっている.


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