錆びたナイフ

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2020年6月5日
[本]

「あなたの人生の物語」 テッド・チャン


「あなたの人生の物語」



著者は最新気鋭のSF作家である.
全8作の中篇集.

表題作は、映画「メッセージ」2016の原作で、そのユニークな異星生物の造形で話題になった.
映画にあった、世界戦争勃発寸前とかいう展開は、この原作にはなくて、主人公がエイリアンの言語を解読する話が中心になっている.
映画の方がずっと面白いが、どちらも結局、異星人を擬人化しているとしか思えず、私は物足りなかった.
海の波を生物であるとみなして、「波」と会話しようとするかのように、この話には、何か根源的な前提が欠けていると思う.
私なら、この宇宙人に見えるものは、実は単なる異星の「探査機械」だった、というオチをつけたくなる.
ボイジャーに話しかけてくる宇宙人がいたとしたら、NASAはなんと歯痒いことであろうか.

この作者は、最新の物理学とか数学を話に織り込んでいるのだが、どうも意味不明/不得要領で、あまりおもしろくない.

ただし、『地獄とは神の不在なり』の一編はユニークで印象的だ.
現代アメリカが舞台で、そこでは、
人は死ぬと、天国に昇る者と、地獄に落ちる者とがいる.
人々はそれを、目撃する.
もちろん、敬虔な者は天国へ、不信心な者は地獄へ、彼らはそこで永遠の命を得る.
時に「地獄の蓋」が開いて、そこに生きている人々の様子がのぞける.
人々は苦しんでいるわけではない、地獄の生活は地上と同じようにみえる.
そして地上には、時として「天使の降臨」という事件が起きる.
雷鳴と雷光をともなったその現象は、居合わせた人々に、死、身体の欠損あるいは身体の治癒をもたらす.

主人公ニールは、生まれつき脚が不自由だった.
彼は、そのことで神をとがめはしなかったが、神を愛することもしなかった.
ニールがこの世に生きるよすがであった妻セイラが、「天使ナタナエルの降臨」に遭遇して、死ぬ.
レストランにいたセイラに、降臨の爆風で割れたガラスが突き刺さったのである.
妻は天国へ召されたが、不信心な自分は地獄へ行くだろう.
どうしても妻に会いたいニールは、天国へ行きたいと願う.
そのためには、「妻を殺した神」を、愛さなければならない.

身体に障害を負った者に対してアメリカ人は、それは神の罰であるか、神からの試練である、と考えるらしい.
もう一人の登場人物、ジャニスは、生まれつき両脚がない.
妊娠中に彼女の両親は啓示を得て、それが神の罰ではないと悟り、そのように彼女を育てた.
ジャニスは、脚が欲しいと思ったことは一度もなく、それを受け止め、神を信じ、人々に信仰を持つ喜びを伝える伝道師になった.
そのジャニスが、ニールの妻と同じ「ナタナエルの降臨」に遭遇して、「両脚を得る」のである.
ジャニスは、このことで自分の伝道が報われたとは思えなかった.
彼女は、両脚の復元にやましさを覚えたのである.
それは、祝福か、試練か、ひょっとしたら罰かもしれない、と.

降臨が複数回発生する場所は、天使に出会いたい人々の巡礼地になっている.
もちろん、天使と会話ができるわけではない.
天使はせいぜい「主の力を見よ」と言うだけである.
砂漠のような荒地で、人々は、オフロード車と無線を使って天使を待ち受ける.
竜巻ハンターとかストーム・チェイサーのようなものだが、彼らは「ライトシーカー」と呼ばれている.
無論、降臨で御利益が得られるとは限らない、場合によっては死ぬか、重い障害を負う.
それでも彼らは光を追う

ニールは、降臨の光を間近に見た者は無条件に天国に召される、という噂にかけて、ライトシーカーになる.
どの道、普通に死ねば、永久にセイラには会えない.
妻に会うためにはこれしかない.
一方ジャニスは、神に、自分に起きたことは何かの間違いではないかと告げるため、この地にやって来る.
二人はやがて、「バラキエルの降臨」に遭遇し、『天国の光で作り直される』
ふたりは目を失う.
『その過程で、光はニールに、神を愛さねばならない理由のすべてを明らかにした。』
『数分後、ついにニールが失血死したとき、彼は真に救済されるに値する資格を得た。
 しかし、ともかく、神はニールを地獄へ落とした。』

茫然とする結末である.
「降臨」という事象のもつ圧倒的な暴力と不条理は、荒ぶる神ヤハウェのものである.
この物語に、イエスはいない.
人間は、人間の無意識と直接対峙しなければならない.

人間は自由意志で自らの人生を選ぶことができる.
だからその結果に責任を負わねばならない.
しかしそれでも人は、望みもしない災害や病に遭遇する.
人知を超えた責任を、人間は、神に放り投げるが、神は、人間の苦難などにまったく興味はない.
自らの意思で生まれたわけではない人間に、自由意志など最初からないのだ.
「生命」とは、DNAがコピーされることではない.
そういう仕組みがあることそのもの、なのだ.
ニールは「生がどれほど過分な賜(たまもの)であるのか」を、知ったのである.
「生が賜(たまもの)である」ということと、「生が苦悩であること」とは等価なのだ.
この物語は、そこへたどり着こうとしている.

ジャニスは、盲目の伝道師になった.
神の御業(みわざ)の素晴らしさを人々に告げて、苦難を背負った人間の持つ力については、語らなくなった.

一方、地獄に落ちたニール
『天国の光を見て人間界のすべての物のなかに神の存在があるという認識を得たのとおなじように、ニールは地獄にあるすべての物に神が不在であることに気づかされた。
 ニールが見るもの、聞くもの、触れるもの、すべてが嘆きの元となり、人間界と異なり、その苦しみは神の愛の形をとらず、神の不在を思い知らせるものになった。
 ニールは生きていたときに可能であったより激しい苦悩を味わっていたが、彼にできる唯一の反応は神を愛することだった。』

「神がいない地獄」とはなんのことか.
人間の自由意志も神の意思もない、確率という名の「科学」だけが、すべての原因と結果を作りだす世界のことである.


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