錆びたナイフ

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2020年5月29日
[映画]

「ふくろう」 2003 新藤兼人


「ふくろう」



冒頭に1980年頃の話とある.
戦後、満洲からの引揚者向けに、県が提供した山奥の開拓地「希望ヶ丘」は、結局不毛の地で、入植者は次々と村を去り、残ったのはユミエ(大竹しのぶ)とエミコ(伊藤歩)の母娘だけ.
木の根をかじるほどの飢えに耐えかねて、ふたりが考えたのは、ダム工事の男らを相手にする「売春」.
新藤兼人は優れた脚本を書くが、監督作品はあまりおもしろくない.
いや、しかし、この作品はおもしろい.
ベテラン監督の映画作法は完璧だが、まるで「遁走」としか言いようのない話の顛末に、びっくりした.

最初にダム男A(木場勝己)がやってくる.
しどけない格好で赤い口紅のユミエ、どこかチグハグで奇妙な魅力がある.
コトが終わって、男は大満足.
母娘はスペシャルサービスだと言って焼酎を飲ませるが、それが毒入りで、男は泡を吹いて死んでしまう.
死際はブタやニワトリのように騒がしくて、マンガをみているようだ.
母娘は男の所持金を奪い、死体を外に運び出す.
これは、ダーク・ファンタジー版「注文の多い料理店」である.

それから、電気屋、ダム男B、水道屋、といった男たちがやってくるが、みんな同じようにコトが終わると殺されてしまう.
男たちは満足しているのだから、そのまま帰せばまたやって来るだろうに、なぜ殺してしまうのか、よくわからない.
この家で語られる、男たちとの世間話も、実はよくわからない.
ユミエは、敗戦の引き揚げから内地の入植まで、悲惨な生活苦を語るが、それは彼女の母親の話である.
ダム男B(柄本明)は、国がダムを作るのは、地元に金を落とすためだと講釈する.
電気工事人も水道工事人も、こんな山奥まで電気や水道を引くのがどんなに大変なことかと言う.
ユニバーサルサービスが「不公平」だと言っているのだろうか.
登場人物がなぜこんな話をするのだろう.
県の役所から来た男(蟹江一平)は、かつて彼の父が発案したというこの開拓地の顛末を、母娘に謝罪したりする.
この自殺願望男の意図も、よくわからない.
ユミエもエミコも、男たちの話など少しも聴いていないのだが、
新藤兼人は、バブルの80年代に、一生懸命「戦争」の話をしようとしている.
彼ら男たちにはもう「平和」が分からないのだ.

押入れの壺の中に、しこたま金をためて、母娘はこれで世界旅行をしようと言う.
それが目的だったのか?、あまりのピントずれに、絶句.
この映画にリアリティがあるのは、大竹しのぶの圧倒的な演技力と存在感で、
こんな娼婦に、5万円でいい思いをさせてもらったらそれで死んでもいい、という思いだけがひしひしと伝わって来る.
監督が「カット!」というとき、その確信だけが頼りだった.
それがこの映画の魅力だと思う.

終盤は、自殺しそこなった役所の男が来て、さらにお客の巡査が来て、その上、昔開拓村を出たエミコの幼なじみ浩二(大地泰仁)が転がり込んで来る.
別役実の不条理劇もかくや.
奥の部屋に二人の男が隠れている前で、浩二は、母息子で村を出てから、その後の悲惨な人生を延々と語り、母をめぐって人を殺して来た、と語る.
ここはクライマックスなのだが、話の展開もテンポも完全に破綻している.
最後の全員登場・殺人劇は、もう、笑うしかない.
男3人は死んで、最後に母娘は、やけっぱちのように「希望ヶ丘開拓団」の歌を歌って、いなくなる.
ほとんどが家の内での展開なので、この映画は舞台劇に近い.
話の合間にホウホウと鳴くふくろう.
林光の音楽がいい.

1年後、誰もいなくなった開拓村の廃屋から、9体の白骨死体が出てきた.
集まった村の関係者たちの頭上に、突然雷光と雷鳴とどしゃぶりの雨、あっと言う間に晴れ上がり、天から女の哄笑.
空耳か.
新藤兼人の戦争も、空耳だったのか.
歴史に翻弄された人々への鎮魂、なんぞではなく、悲惨を語れば語るほど滑稽になるという、「日本昔ばなし」.
91歳の新藤が夢見た世界が、これだったのか.
思えば「裸の島」1960も、ファンタジーだったのではないか.
黒澤明の最後の作品「まあだだよ」1993も、おとぎ話だった.


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