錆びたナイフ

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2019年9月29日
[映画]

「レヴェナント 蘇えりし者」 2015 アレハンドロ・G・イニャリトゥ


「レヴェナント 蘇えりし者」


これも西部劇と呼ぶのだろうか.
アメリカという未開の大地に進出した人々の話は、アメリカ魂の原点なのだが、この映画はケタがちがう.
暗く湿って凍えたような映像.
ロッキー山脈の北部、冬の森林と大河は、人間を拒否するかのように厳しく、美しい.
この大自然の中で撮影をしたら、誰もこんな顔になるのか.
鬼気迫るディカプリオに、「タイタニック」の青年の面影はない.

登場するのは、原住民インディアン、商人、軍人、猟師、そして熊.
西欧で売るための毛皮を求めて、猟師たちは集団を組み、半年に渡って狩をする.
ヒュー・グラス(レオナルド・ディカプリオ)は、その案内人である.
彼は若い息子ホーク(フォレスト・グッドラック)を連れている.
二人はインディアンの言葉で話をする.
グラスはかつてインディアンとともに暮らし、その妻は軍隊の襲撃で死んだ.

猟が終わってミズリー川を下ろうとする時、猟師たちのキャンプが、アリカラ族インディアンに襲われる.
どんよりとした空の下で、矢と銃弾が飛び、怒声が飛び交う.
移動するカメラ、長回し.
死体がころがる.
すさまじい映像で、どうやって撮影したのか、どうやって演出したのかわからない.
撮影監督はエマニュエル・ルベツキ.
「トゥモロー・ワールド」や「ゼロ・グラビティ」を撮った男である.
多分、画面全体をコンピュータの中で組み立て直しているのだ.
我々はいったい、何をみているのか?

再び襲撃されることを怖れて、グラスの部隊は船を捨て、カイオワ砦まで陸路を進むことにする.
白人の住む開拓地はまだない.
この地では、交易所、駐屯地、砦だけが安全な場所なのである.
その途上で、グラスは熊に襲われ、瀕死の重傷を負う.
グラスが死んだらその場所で葬るという約束で、部隊はホークと二人の仲間を残して先へ進む.
その仲間の一人がフィッツジェラルド(トム・ハーディ).
この男はグラスとホークを嫌っている.
「野蛮人は野蛮人だ」
彼の頭には、皮を剥がされた跡がある.
最初からそのつもりはなかったのだろう.
フィッツジェラルドはグラスを見捨て、刃向かったホークを殺して砦へ向かう.

しかし、グラスは生き延びる.
驚異的な生命力で復活し、大地を這うように進み、凍えるような激流に流され、バッファローの群れに出合い、妻が夢に現れる.
グラスは300キロを走破し、砦にたどりつき、フィッツジェラルドに復讐する.
最後はアメリカ映画お決まりの、仇同士の肉弾戦で、あ〜あと思うが.
復讐譚というより、この男は、生死を超えて、この大自然そのものにみえる.
フィッツジェラルドは砦で、グラスを葬ったと嘘を言い、約束の報酬を得た.
この男は善人ではないが、この地で、いったい悪人とはなんのことか.

映画の中では「インディアン」と呼ばずに、部族の名前で呼んでいる.
白人を敵視する部族ばかりではない、グラスを救い、共に旅をするインディアンもいる.
毛皮商人たちに破壊された村.
この地で、女は、インディアンしかいない.
白人にさらわれた娘を探し求める男がいう.
「お前たちは我々からすべてを盗んだ」

西部開拓というのは、自然というより「ニンゲンの闘い」なのである.
この覚悟の上に、アメリカ人はいる.
もしコロンブスがこの地を発見せず、ネイティブ・アメリカンたちだけの世界が続いたなら、平和のままであっただろうか.
荒くれ男ばかりの集団に、友情も信頼もありえるだろうが、この地で生き抜くのは、おのれの力と信念だけである.
白人が持ち込んだのが、略奪と殺戮だったとしても、この地で、アメリカという新たな価値が生まれたのだ.
その歴史はわずか200年.

アメリカ人の心の底を探ると、移民の母国ではなく、インディアンの生活が現れるというのは、最近の話である.
私は、黒澤明の「デルス・ウザーラ」(1975)とか、李相日の「許されざる者」(2013)を思い出した.
仲間同士の厳しいおきても、雲と風のような呪術も、廃墟の教会にある十字架のキリストも、大自然のあとからやってきた.
この寡黙な主人公は、これからどうして生きていくのか.


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