錆びたナイフ

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2019年7月24日
[映画]

「ジャンヌ・ダルク」 1999 リュック・ベッソン


「ジャンヌ・ダルク」


日に三度も教会に懺悔にやって来る少女ジャンヌ.
彼女が「あの方(He)」と呼ぶ、イエスを思わせる男(あるいは少年)と、神の兆しや運命を暗示する圧倒的な映像.
国家の上に宗教が君臨していた時代.
しかし、この映画に「神」は登場しない.

15世紀、英仏百年戦争下のフランスは、その北部を英国に支配されていた.
英国兵に家族を殺されたジャンヌはやがて、めざめる.
「ロレーヌから乙女が現れ、フランスを救う」
民衆に支持された19歳のジャンヌ(ミラ・ジョヴォヴィッチ)は、シノン城で王太子(ジョン・マルコヴィッチ)に謁見する.
「私が、祖国フランスを敵より救い、再び神の手にゆだねる」だから自分に軍隊を与えよ、と.
文字も読めない田舎娘の訴えを、信じようとしない僧侶と貴族たち.
神の啓示を受けたジャンヌの思いは、確固としている.
王太子は、半信半疑で彼女を利用する.
戦場で、甲冑をまとい戦旗をひるがえすジャンヌ.
「神がお命じになる声が、私の耳元で、太鼓のように轟いている」
「私は考えない 神のご意志に従う、私に続け!」
絶対他力のすごさである.
仏軍が攻めあぐんでいたトゥーレルをあっというまに落とし、破竹の勢いでオルレアンを解放し、予言どおり、ランスで王太子シャルル7世の載冠式を実現する.
ベッソンの映像はシャープで力強く、神の使いであることを信じる少女の至福と、戦場の狂気を描いている.

パリへ進攻したジャンヌは、王の援軍を得られずに苦戦する.
もはや神のお告げが聞こえないと、ジャンヌはいう.
外交交渉を優先するというシャルル7世は、彼女を裏切る.
ジャンヌはブルゴーニュ派の捕虜となり、英国軍に売り渡される.
英国の支配下にあったルーアンで、ジャンヌは異端裁判にかけられる.
直ちに火刑にせよとせまる英国王に対して、司教のコーション(ティモシー・ウェスト)は
「お前の肉体と魂を救済すべく努める」
「教会は 悔い改める者を、決して拒みはしない」という.

前半のハイテンションのヒロインに代わって、後半の、憔悴して孤立無援のジャンヌは、観るものをひきつける.
シノンでもルーアンでも、教会は、お前が得たものが神の啓示がある事を証明せよとせまる.
ジャンヌが得た神の啓示は、風、雲、雷、野原に落ちていた剣・・
その正統性を第三者に明かすことなどできない.
その啓示は「神との対話」ではなく、無条件の受け入れ、つまり「メタ・メッセージ」だからである.
信じたもののほかは何もない、ジャンヌの主張は、1,400年かけて築き上げた教会の権威をゆさぶる.

牢獄のジャンヌの前に、黒衣の男(ダスティン・ホフマン)が現れる.
「神」ではない、映画のクレジットでは「THE CONSCIENCE=良心」となっている.
この男は「神」よりはるかに意地が悪い.
本当に啓示があったのかと、ジャンヌを問いつめる.
うろたえるジャンヌ.
男は言う
「物事の原因は数限りなくある。お前は事実を見たのではない。見たかった事を見ただけだ」
手負いのケモノのように、哀れで必死なジャンヌ.
彼女が向きあったのは、神を求めてそれを失うという、ニンゲン存在の不条理である.

兵士が懺悔をするために、戦地に僧侶を連れてくるという、奇妙な時代だった.
人を殺しましたと告げれば、罪が許される、ということだろうか.
ジャンヌは教会の救済を拒否するが、最後まで、告解(懺悔)を受け入れてくれるよう司教に懇願する.
彼女は、罪を許されずに死ぬことだけを怖れている.

ジャンヌは告白する.
「私は戦いました 復讐の気持ちと 絶望から・・」
黒衣の男は、ジャンヌの頭に手をおいて
「汝の罪を許す。父と子と聖霊の御名によりて、アーメン」
という.
これは、なんだろうか.
「良心」は、ひとの罪を明らかにするだけでなく、「許す」ことができるのか.
男は、神の恩寵である鎧をジャンヌからはぎとり、「物語」を「原因と結果」にすり替えたのである.
いわば「近代」が、人間の精神を前提にして、それをむきだしの生に戻したのである.
すると火刑は、罰でも罪の浄化でもなく、ただ死の原因にすぎない.

「私を見捨てないで下さい、主よ どこに?」
これが、人間の最後の声、ということになる.


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