錆びたナイフ

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2019年4月8日
[映画]

「ハウルの動く城」 2004 宮崎駿


「ハウルの動く城」


街の帽子屋で働いている18歳のソフィーが主人公.
派手で遊び好きな継母と娘たちがいる.
彼女たちがイジワルかというと、そうではない.
おとなしいこのヒロインが、ふとしたきっかけで、荒地の魔女に呪いをかけられ、老婆にされてしまう.
この監督のイメージは徹底している.
腰が曲がって、鷲鼻で、シワだらけで目ばかり大きいこの老女は、とてもチャーミングとはいえない.
「私なんか 美しかったことなんか一度もないわ」と思っている娘を、老婆にしてしまうのは、この作者の強烈な信念である.

老婆になったソフィーは、最初うろたえるが、悲観しない恨まないさっさと生きる.
「ま・・ 年をとっていいことは 驚かなくなることね」
外見が年老いただけではない、ソフィーの心も老いるのである.
そして引っ込み思案だった主人公に、怒りっぽくて世話焼きで楽観的な性格が出てくる.
老人の諦観と図々しさが、ソフィーの生きる道をひらいてゆく.

家を出たソフィーは「ハウルの動く城」に転がりこむ.
家をたくさん積み上げて、ビルほどの大きさになったようなこの城は、四本脚の機械仕掛けで野原を動いている.
こういう生物的メカの造形の凄さは、この監督の独壇場である.
城に住んでいるのは、魔法使いの青年ハウルと弟子の少年マルクルと、城の動力源である炎のカルシファー.
ハウルはソフィーを追い出すでもなく、彼女は掃除婦として城に居つく.
つかの間の平安.
不穏な雰囲気に満ちた世の中は、やがて、戦争に突き進む.
ハウルはひとり城を飛び出して、戦争の被害をくいとめようとしているらしい.
傷ついたハウルの心を表す、鮮やかで濃密な部屋の描写がすごい.
しかし、どこの国となぜ戦争をしているだろう.

魔法使いも戦争に協力せよと、王様に呼び出されたハウルの代わりに、ソフィーが王宮へ向かう.
その道でソフィーは、荒地の魔女に出会う.
私にかけた呪いを解きなさいとソフィーが言うと.
呪いを解く方法は知らないと魔女は言う.
ソフィーは怒るが、ふたりが王宮の長い石段を登る間に、なにかが変わる.
荒地の魔女は魔力を失い、ジャバザハットのようなぶよぶよの老女になってしまう.
ふたりは王宮で、魔女の総元締めマダム・サリマンに会う.
協力を拒んだソフィーは、サリマンから追われる.
ソフィーはこのぶよぶよ婆さんと、サリマンの手下だった目つきの悪いムク犬を、城に連れて帰って面倒をみる.
なんだか老人介護のような話になる.
荒地の魔女は、美輪明宏の声が秀逸で、顔がでかくて高貴で醜悪で、物語の深層を流れるマグマのように、強い魅力がある.
この魔女はかつて、絶世の美女であったことは間違いない.

カルシファーはソフィーに、自分にかけられた呪いを解けば、あんたの呪いを解いてやる、という.
呪いをどう解くかということが話の展開になるかというと、そうではない.
画面の中で、ソフィーは時々娘に戻っている.
ソフィーが懸命に相手のことを思うとき、曲がった腰が真っ直ぐになる.
映画の終盤は話がよくわからない.
ソフィーがカルシファーを解放して、すべての呪いが解けた、ということらしい.
どうもそういう手順など無視して、終盤のソフィーは娘のままである.
「年寄りのいいとこは 無くすものが少ないことね」と言っていたソフィーが、ハウルにかけがいのない愛を持つことで娘に戻ってしまったのだ.
もはや呪いも外見もどうでもいいのである.

善人悪人のけじめをつけないのはこの監督の特徴で、この映画に悪人はいない.
登場人物はみな「ややこしい呪いがかかっている」.
エンディングでは、ソフィーを導いた案山子のカブが実は隣国の王子であったと、なくもがなの尾ひれまでついている.
呪いはその人間の人格そのものであり、つまり呪いが解ければ、そこにいるのは「生」としての人間だけなのだ.
あまたのファンタジーに登場する異形の野獣は覚えていても、王子に戻ったその顔は思い出せない.
呪いを解くということは、「人間」から解放される、ということだ.
「物語」はそこで終わり、「歴史」もそこで終わる.


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