錆びたナイフ

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2019年2月27日
[本と映画]

「失われた時を求めて 1」 プルースト


「失われた時を求めて 1」


「眠っている人間は身のまわりに糸にも似た時の流れを、そして、長い歳月やさまざまな世界が持つ一定の秩序を輪のように巻きつけている。目覚めたとき、人は本能的にそれらを探って、自分が現在いる地点や目覚めまでに流れた時間を即座に読みとろうとする」
19世紀末、フランス貴族一家の話である.
コンブレーという避暑地の思い出を巡って、主人公の記憶がくりかえしよみがえる.
語り手の「時」は、過去をめぐって飛ぶのだが、中心は子供の頃で、その少年は、母親のおやすみのキスをひたすら熱望している.
隣家スワンの娘への好意と反発を感じている.
ゲルマント夫人への大人びた憧れをもつ.
山査子の花、紅茶に浸したマドレーヌ.
繊細なこの少年の思いは、サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を思い出す.
「自分自身の心のうちで、美しいものをゆっくりと成熟」させようとしているような、息の長い文章.
この「土地」とこの「時」に、作者は並々ならぬ愛惜を感じているのだが、その思いは現在の作者の内心にあって、登場人物は古い映画のように、くっきりと色あせている.
ケルアック、クンデラ、G・マルケス、J・ジョイス、現代文学の名作はどれも強い印象を読者に残すが、私はこのプルーストに共感を感じなかった.

「コンブレーでは誰のことも、人間であろうが動物であろうが、みんなよく知っているので、たまたま「知らない」犬が通っただけで、叔母はもてるかぎりの推理能力と暇な時間を注ぎ込んでこの不可解な出来事についてずっと考え続けるのだった」
この別荘の主である寝たきりのレオニ叔母と、その女中であるフランソワーズとのやりとりがたいそう興味を引くのだが、そういうエピソードにあふれているわけではない.
話し手の、周囲の人間に対する大人の観察眼と子供の悩みと自然描写が渾然となっている.
マドレーヌで私は、プルーストを思い出すだろうが、
ふわふわとした意識の流れを紡いで「失われた時」を再現しても、要するにその貴族の思い出話が面白いかと問われれば、まったく面白くない.


「スワンの恋」 1983 フォルカー・シュレンドルフ


「スワンの恋」

小説の1冊目は「スワン家のほうへ」という副題がついていた.
上流社交界の寵児だったシャルル・スワン.
主人公少年のスワンへの憧憬とは逆に、家族は彼を敬遠する.
評判の良くない女と結婚した所為である.
その顛末を描いたのがこの映画.
登場するスワン(ジェレミー・アイアンズ)は辛気臭くて、彼の恋心は幾分狂気じみている.
「オデットへの愛は、肉欲を超え、僕の行動と結び付く
 思考や眠り、人生とも・・僕の存在のすべてだ」
高級娼婦であるオデット(オルネラ・ムーティ)は魅力があるが、スワンはオデットを見ていない、その背後のあらぬ方を見ている、という感じがする.
ピアフやバルバラの歌で、私が的外れに想像するフランス人の恋愛とは、ずいぶん趣が違う.
「官能的」というのは、熟れすぎた桃とか、死にたいほどの退屈のことを言うのか.
丹念な映像と無調の音楽が、ゆるい不安を感じさせる作品だが、
原作プルーストの「意識の流れ」を、シュレンドルフは、華奢で高邁なスワンの恋愛感情に置きかえた.
オデットを求めたスワンの、たった一日の話である.
フランスの貴族には「階級」があって、慇懃な物腰とパーティーと音楽会とゴシップざんまいの生活の中で、貴族の「格式」を維持すること、それが彼らの最大の関心事らしい.
文化とない交ぜになった彼らの恋愛の、なんと息苦しいことか.
スワンと聞いて私は、湖面にただよう、足こぎの白鳥ボートを連想した.
いくらこいでも前に進まない.
ゲルマント公爵夫人オリアーヌ(ファニー・アルダン)が、スワンに言う「人生って おぞましい」

最後のシーンはその十数年後だろう、スワンはオデットと結婚したが、社交界からはつまはじきにされている.
シャルリュス男爵(ちょび髭の似合わないアラン・ドロン)が、スワンに語る
「我々の命は、芸術家のアトリエだ、捨てられた下絵だらけ・・・亡霊にすべてをささげた、次々に消える、亡霊に」
スワンは言う
「僕は人生を愛し、芸術を愛した、今は 昔の感情が、貴重なものに思える」

この恍惚と絶望が、ヨーロッパなのだと思う


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