錆びたナイフ

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2019年2月1日
[映画]

「ハドソン川の奇跡」 2016 クリント・イーストウッド


「ハドソン川の奇跡」


2009年、ニューヨークの空港を離陸したエアバス機が、鳥の群れに突っ込んでエンジンが2機とも停止、真冬のハドソン川に不時着した.
映画は、機長サリー(トム・ハンクス)と副操縦士ジェフ(アーロン・エッカート)の行動を、話の展開に応じて、何度もなぞるように描いている.
水没する機内からの脱出も、救助する川舟の奮闘も、実写と区別がつかない.
イーストウッドの作劇は冷静沈着でムダがない.
「ニューヨークの良心が集結し、24分で全員を救助した」
機長は全米の賞賛の的になる.

この映画の真骨頂はそのあと.
国家運輸安全委員会(NTSB)が乗り出してくる.
管制官が指示した近隣の2カ所の空港に、着陸できたのではないか.
死者が無かったとはいえ、結果的に機長は乗客を危険にさらしたのではないか.
映画の原題は機長の名前「SULLY」.
監督は、この事故そのものよりも、この機長を描きたかった.
「父親たちの星条旗」(2006)を思い出す.
期せずしてアメリカの英雄になった兵士たちの戸惑い.
「自分を英雄だとは思わない、やるべき仕事をやっただけ」
蛮勇のヒーローではない、謙虚で、その道のプロであろうとする男たちである.

後半はアメリカ映画が大好きな「公聴会」.
サリーは自分の行為に自信を持っていたが、それでも、間違っていたかもしれないという思いにさらされる.
ジェフもスタッフも家族も、そして乗客たちもサリーを支持しているが、この重圧に耐えるのは自分しかいない.
コンピュータと操縦シュミレーターを使った事故の再現実験が実施される.
最初は、近隣の飛行場に着陸が可能だったという結果が出る.
サリーは、コンピュータのシュミレーションが、自分が体験した状況とは違うと直感している.
コンピュータは、あとになって、上手くいったという手順を繰り返しているだけだ.
誰も想定しなかった危機的な状況の中で、実際の操縦者である人間が、その手順を考え、選択し、決断し、実行した、”時間”が考慮されていない、とサリーは主張する.
委員会はパラメーターを変更して実験をやり直す.
すると、シュミレーターを使った再現飛行は、空港到達前に墜落する映像を映し出す.
サリーとジェフだけではない、映画の観客も、くりかえしこの事故の状況を体験をしながら、機長らの行為が正しかったことを確認する.
やった!、やっぱり機長の判断は正しかった.

しかし、もし死傷者が出ていたとしたら、この再現実験は誰にとっても苦しいものだろう.
全員無事だったからこそ、サッカーの決勝ゴールのように、何度見ても見飽きないのだ.
貴方はここで選択を誤りました、などという過去の出来事を、くりかえし体験したい人などいない.
飛行データを使ってコンピュータ内に当時の状況を再現し、結果的に人間の決断が正しかったかどうかを検証するという行為そのものに、私はウサン臭さを感じる.
人生の折々に人は何らかの決断をする.
そのことのやり直しはきかない.
決断の結果が「吉」と出ても「凶」と出ても、人はそれを受け入れるしかない.
あの時こうしていればよかった、ああしなければよかったと、慚愧の思いはつきないが、それをいまさら再確認してどうするのだろう.
ここで、人々はいったい何をやっているのか.
システム上の欠陥を改善する以外の目的が、ここにあるのだろうか.

この話は「サンデル教授の白熱教室」を思わせる.
人命がからんだクリティカルな状況での決断に「正義とは何か」を問う.
哲学的な課題を装っているが、そこにあるのは、西欧流の、人間は自分の人生を自分の意思で選択できる、という”トラウマ”である.
危機を生き延びたのは、「運が良かった」「神のみぞ知る」のではなく、人知のおよぶところなのだ.
すると、「運が悪かった」「神に見放された」のは、人間の所為ということになる.
ニーチェならこう言うだろう.
ほんとうは、この世には、運も神もない、「人間の意志」しかない.
「人間の意志」が、世界そのものを生みだす.
だから「誤った決断」というのは、ない.

人間より、コンピュータ・シュミレーションの方が正しいというなら、シュミレーターが操縦すべきである.
近い将来、間違いなく、操縦席に人工知能が座り、最適な判断をするようになるだろう.
この映画の話は、ベテラン操縦士の経験とカンが、コンピュータの判断より優れていたという、最後の例になるだろう.
そして、この物語の背後に、誰を生かし誰を殺すかという、人工知能によるトリアージの悪夢が潜んでいる.
人間は「運」を確率に置き換え、人間の「命」を社会的な価値の軽重に置き換えるだろう.
人間は「神」の所業をデジタル化し、人間であることから解放される.


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