錆びたナイフ

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2019年1月26日
[本]

「磁力と重力の発見 3」 山本義隆


「磁力と重力の発見 3」


琥珀を毛皮でこすると髪の毛を吸い寄せる.
磁石が鉄を吸い寄せ、方位磁石が北を指す.
生物ではない物体が、力を媒介するものなしで引き寄せ合うのは、物体に「共感と反感」という性質があるからであり、その性質は神が与えたものだ、という世界観から脱出していく人間(学者)たちの話である.

著者はまず『磁石論』の16世紀イギリスの学者ギルバートの立場を再検証している.
方位磁石はその力を天から得ていると考える時代に「地球は巨大な磁石だ」と言った人である.
実験を用いた近代的な科学の先駆けをなしたというギルバートは、同時に「地球は霊魂を持っていて、それ自身のものとして磁気活力が備わっている」と考えていた.
「磁気学」というより「磁気哲学」である.
著者は「この認識こそが、一七世紀初頭の段階で、地球を不活性で不動の土塊と見るアリストテレス宇宙像の解体と地動説受容への後押しをしたのであり、またケプラーの重力論への道をもひらいたのである」とみている.
アリストテレス、コペルニクス、ギルバート、ガリレオ、ケプラー、デカルト、ニュートン、クーロンと、人類が「科学的」な思考を身につける過程は一直線ではなく、紆余曲折、行きつ戻りつやっとの思いで、というのがこの書の面白味である.

「「重さ」と「軽さ」の違いは地球からの引力の強さの相対的な差でしかないというケプラーのこの主張は、軽い物体は自然運動として宇宙の中心から遠ざかるというアリストテレスの理論を完全に葬りさり、それと同時に、宇宙における絶対的中心と絶対的周辺の存在と言うその空間論をも粉砕するものであった。
 それはまた「重い」「軽い」が対立性質だとするアリストテレスの質の自然学を超え、「重さ」と「軽さ」を「重量」の大小として量的に一元化し、物理学の概念に変換したことを意味している」

「片足をまだ中世に残していたケプラーと異なり「近代人」ガリレイにとっては、月がはるかに離れた地上の物体(海水)に力や影響を及ぽすなどというのは、つまるところ魔術思想の妄想か占星術の世迷い言であって、到底受け入れられなかったと言えよう」
「このようにガリレイもデカルトも、ケプラーの画期的な発見…三法則と重力概念…の意義をあらゆる意味で摑み損ねた。一七世紀前半の機械論哲学は、・・・現実には潮の干満はもとより重量物体の落下というような日常的なことにさえ説明に窮していたのであった」
天文学の父であるガリレイも近世哲学の祖デカルトも、形無しである.
近代科学の生みの親と目される偉人たちも、今から見れば、思い込みと偏見のただ中にあったということだろう.

ニュートンもしかり、「無生物の遠隔作用」などあり得ないと考えていながら、重力の法則を発見する.
つまり「Why」を棚上げして「実験と観察、精密な測定」で「How」を追求したのである.
「ニュートンは自然哲学から存在論を追放したのであり、ここに近代数理科学としての動力学が産み出されたのである。機械論は隠れた力の伝達の仕組みを解明しそのからくりを暴くことで魔術を解体しようとしたが、ニュートンは力の法則を明らかにすることで魔術を合理化し、数理科学としての物理学に取り込んだのである」
魔術を排除したわけではない、説明しただけである.

リンゴが木から落ちるのを見て引力を発見するなど、ありえない.
リンゴをはるか高く持ち上げて、月の高さまで持っていったら地球まで落ちて来るか?
いや、ではなぜ月は地球に落ちてこないのか、と想像しなければならない.
さらに、手に取れるリンゴと、手を触れることができない月とが、同じ物体としてふるまうはずだという確信がなければ、この発想は成立しない.
これが「近代」である.

磁力と重力は混同された時期があったが、重力は、月や惑星の軌道観測の結果を説明する必要が前提にあった.
ケプラーが発見した惑星運動の法則に比べて、磁石の法則の発見・数式化は手間がかかった.
磁石にはS極とN極とがあり、単一極だけの力を測定するのが難しかったのである.
18世紀中頃に細い棒状の人口磁石を作れるようになって、やっとこの実験が成功する.
当時の推論と公式を補正するように、この書には微分積分を含む数式が出てくる.
高校数学の教科書を読み直せば、私にも「理解」できるかもしれないが、
科学書に数式が出てくると話が面白くなくなるというのは、難解になるからではなく、数学の言葉で説明できればそれで完了という「そっけなさ」のせいである.
私は、これらの歴史は「人間が合理的で理性的になってゆく過程」ではなく、「人間が人間をやめていく過程」であると思っている.
「磁力」とか「真空」とかを追求することは、昔から人間の観念をおびやかすのである.

この書全3巻「1. 古代・中世」「2. ルネサンス」「3. 近代の始まり」の中では「ルネサンス」が一番面白い.
著者の文章は、一般書としてはあまり読みやすくはないが、科学史をもう一度見直すという熱意に敬服する.
17世紀の医師トマス・ブラウンは「私は哲学の大部分は最初は魔法であったと考える。魔法は自然の正直な営みにすぎないのであり、(そこから)私たちが自分で見出したものが哲学で、悪魔から学んだものが魔術である」と言う.
ここでいう「哲学」は「自然の原理=科学」のことである.
昨今、自然界には「電磁気力、弱い力、強い力、重力」があるという.
それはなぜ産み出されたかは問わず、それらをあらわす数式(マニュアル)さえあれば、自然は意のままにできる.
けだし、この世にマニュアルが存在するというのは、魔術でなくしてなんであろう.


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