錆びたナイフ

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2018年9月16日
[映画]

「緑の光線」 1985 エリック・ロメール


「緑の光線」


日没に現れる緑の光線を見た人は、自分と相手の気持ちが分かるという、J・ヴェルヌの小説「緑の光線」の挿話がキーになっている.

パリで働くデルフィーヌ(マリー・リヴィエール)は、友達とバカンスに行く予定がフイになってしまう.
ここからこの、奥手で泣き虫で変わり者ヒロインの「迷走」がはじまる.
恋人と別れて2年、独り身のデルフィーヌは行き場がない.

家族に、アイルランドに行こうと誘われるが、「そんなのバカンスじゃない、本当のバカンスが欲しい」という.
女友だちの誘いで一緒にシェルブールへ行く.
しかし、どうもいごこちが悪い.
動物の肉は食べないとか、ヨットは気分が悪くなるというデルフィーヌに、周囲の人々はあれこれ問いただしたり助言したりする.
「分かってあげて、彼女 私たちとは違うの」
友だちはみんなデルフィーヌを気づかうが、結局彼女はパリに帰る.

その後、別れたはずの恋人のいる山に出かけるが、なぜがそそくさと帰ってくる.
パリでまた女友だちに出会って、彼女のすすめで海辺の避暑地にでかける.
真夏の海、おおぜいの避暑客のなかでひとりきりのデルフィーヌ.
スエーデンから来た女性と仲良くなるが、彼女のボーイハントのやり方になじめず、また逃げ出す.
自分は「観察するだけで、その先の行動に踏み出せない」「物事がよく分からないし、変わり者と言われる」「でも誰も近づいて来ないのは、私に何の価値もないから」とデルフィーヌは言う.
周囲の人々にどうにも馴染めない、何かを求めているのに、自分が何を望んでいるのかわからない.
思春期のような悩みを抱えたこのヒロインを、作者は軽妙なタッチで描いている.
デルフィーヌには繊細で孤独な魅力があり、その苦悩は、男がいないことではない、と思えるのだが、デルフィーヌは男がいないせいだと思っている.

ひとりでパリへ帰る駅で、青年が、デルフィーヌが読んでいる本に興味を示して話しかけてくる.
その本は、なんとドストエフスキーの「白痴」である.
めずらしくデルフィーヌは、あなたと一緒にいたいと言う.
最後にふたりは、海辺で「緑の光線」を見る.
ハッピーエンドにみえるが、果たして「自分と相手の気持ちが分かった」ところで、どうするのだろう.

エリック・ロメールは「海辺のポーリーヌ」(1983)という佳作があった.
15歳のポーリーヌが体験する避暑地のできごと.
フランスの少女たちは幼い頃から男との付き合い方を学ぶ.
彼女たちは「守られるべき子供」ではなく、その生き方は大人と対等なのである.
フランス人は、世の中は男と女でできていると考えていて、どうやって理想の伴侶をつかまえるかが生涯最大のテーマなのだ、と思っている.

時に、チェロの妙な音楽とともに、緑色のトランプとかチラシとかが画面に出てくる.
デルフィーヌは、緑は私の「今年の色」だと信じている.
映画としてそれらのシーンは、主人公の不安と好奇心と未来を暗示していて、
それは、男に出会うための啓示なのではなく、実は男も緑色もまた、世界を示す啓示にすぎないのだと思う.


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