錆びたナイフ

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2018年7月29日
[映画]

「岸辺の旅」 2015 黒沢清


「岸辺の旅」


白玉ぜんざいを作っている瑞希(みずき・深津絵里)の部屋に、3年前に失踪した夫・優介(浅野忠信 )が現れる.
優介は、自分は富山の海で死んだと言う.
つまり彼は幽霊らしい.
優介は、三年かけて歩いてここまで来た、という.
死んだ女房が夫のところに現れる話で、剃髪した髪が伸びるのに三年かかったという落語「三年目」を思い出す.
この映画は、三途の川の岸辺を死者と生者がさまよい歩く話か?

旅で出会った人々のところへ行こうと、優介は瑞希を誘う.
地方の町の新聞店で、島影(小松政夫)に再会して、ふたりはそこに住み込む.
島影は自分が死んだことに気がついていないと、優介は言う.
島影は、失踪した女房につらくあたったことを悔やんでいる.
「ここんとこなんだか呼ばれているような感じがする
 どこだかわからないけど、行かなくちゃならない」
酔って優介に負われて新聞店に帰ってきた島影は、翌朝消え、店は廃墟と化す.
印象的なシーンだ.

次の町で、ふたりは食堂に住み込み、優介は餃子を作る.
店主の妻(村岡希美)は30年前、ピアノが好きだった妹をなじり、その妹が死んでしまったことを悔やんでいる.
妻と瑞希の前に、その10歳の妹が現れる.
少女は、ブルグミュラーの「天使の合唱」を弾いて、消える.

かつて優介に愛人がいたことをめぐって、ふたりは喧嘩になる.
「おわってることことなんだから、いまさらほじくりかえさなくても」という優介.
「終わってない、あたしはわすれない、この先10年でも20年でも、あたしぜったいわすれないから」という瑞希.
うらみつらみは生者のほうにあり、死者は途方にくれる.
喧嘩別れをしたあと、白玉ぜんざいを作ると、優介がまた現れる.

ふたりは山の中の農園にやってくる.
ここで優介は、塾のようなものを開いて村人に物理や宇宙の話をする.
村の星谷(柄本明)は、自分と言い争いをして家を出た息子のタカシが、やがて急死したことを悔やんでいる.
暗い顔をしたその嫁・薫(奥貫薫)は、この世に生きていないようにみえる.
薫のところに、夫であるタカシが死者として現れる.
「おれは死にたくなかったんだ」と告げて、タカシは消える.

オカルト映画かというとそうではない.
優介が霊媒師のように、死者と生者の怨念を解いてゆく、という話でもない.
優介は「あの世」の話をするわけでもなく、彼の態度は、むしろぞんざいなところがある.
もしかしたら瑞希が死者だったのか、というどんでん返しでもない・・
終盤で、この世を旅する力が無くなってきたのだろうか、優介が「みっちゃん、痛いんだ、空も風も」と言う.
痛みは、生きているあかしだ.
この男、死んでいないのだ.
死者と生者のあわいを描きながら、かれらの苦悩はすべて生者のものだ.
「魂魄この世に留まりて」というのは死者になりきれない生者の話で、悔やんでいることそのものが「生」なのであり、死者は、その先へゆくのだ.
だから、この映画に、死者はいない.

自殺した優介は、なんのために瑞希の前に現れたのか.
「ちゃんとあやまりたかった」
「のぞみはかなったよ」と、瑞希が言う
最後に優介は消え、ふっきれたように瑞希は歩き出す.
これは、残された生者の再生の物語である.


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