錆びたナイフ

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2018年6月20日
[本]

「人工知能の哲学」 松田雄馬


「人工知能の哲学」


「「ニューラルネットワーク」は、「自分で様々なものを学習する人工知能」というよりは、「目的や用途を人間が適切に与えてやってはじめて優れた性能を発揮する・・道具」と考えたほうがわかりやすい」
巷にあふれるAI(人工知能)の解説本は、あれもできるこれもできるとばかり浮き足立った記事が多いが、この本は実に落ちついて、人工知能とは何かという問いを、人間の脳の働きと、現実のAIシステムの両者から検討している.

そもそも「知能」とは何か.
著者は人間の認識の「錯覚」の例を、たくさんあげてみせる.
「みさなん こちにんは。この ぶしんょう は、・・」というケンブリッジ・ジェネレータの話が面白い.
「錯覚」は「間違い」や「欠陥」ではなく、人間が世界を把握するために必要な機能なのだという.
「私たちは、「騙される」ことで世界を見ている」という発想がユニークである.
さらに
「生物それぞれから見た世界である「環世界」は、「主体」を持つ私たち生物の身体感覚をはじめとする感覚器官を通して、私たち生物の脳内で作り出す世界であり、私たちが「世界を認識するということは、脳内で「イリュージョン」を起こしていると解釈できるのである。そして、「イリュージョン」なしに、世界の認識というものは、起こり得ないのである」
さらに
「脳は、身体を使って動くことでアフォーダンスを知覚するのである。このように、情報は「頭の中」にではなく「周囲の環境」の中にあり、脳は、動くことで「アフォーダンス」を発見しているのである」
「アフォーダンス」とは、環境が知覚者に対して提供する価値のことである.
そこにある「モノ」は、ただ「単に物体」ではないのである.

こうしたことが人間の知能の前提にあるのだとしたら、とても現状のAIには実現不可能だろうと思わせる.
ところが著者は、この本の終盤で突如、振動の数式を並べて、
「脳の神経細胞(ニューロン)の働きも、同様にして、「アクチベータ(活性因子)」と「インヒビター(抑制因子)」の関係によって記述することが可能である」と言う.
生物の動きは数式化することでプログラミングが可能であると、示唆している.
あれれ、いままでの哲学はどこかへいってしまった.
トップダウンで生物と脳を研究し、ボトムアップでシリコンチップを研究すれば、その接点で知能が生まれる、と著者は考えているのだろうか.

著者は結論として、現在のAIは、人間の知能の代わりの一部を行う機械に過ぎない、「弱い人工知能」だと言う.
それは、要するに「道具」に過ぎないのだから、大騒ぎすることはない.
精神を宿すという「強い人工知能」は、未だ実現しない.
話はそれで終わっている.

著者は最後に「ロボホン」というロボット型の携帯電話を、ペットのように大事に扱うユーザーについて、
「「子供がぬいぐるみに接するのと同じ感覚」だという味気ない見方もできるかもしれない。子供はぬいぐるみやペットに対して感情移入しがちでありその延長にすぎないと思う人も少なくないかもしれない。 しかしながら、携帯電話やパソコンなどの情報機器を数年で使い捨ててしまうことが当たり前の現代社会において、こうした「温かみ」をもたらす製品が誕生したということは興味深い」と言う.
「感情移入」することは、人間が社会を作る基本であり、「ミラーニューロン」という証拠を持ち出してそれを論証したにも関わらず、著者はここで大事なことを見落としている.
「私たちは、「騙される」ことで世界を見ている」のである.
あるものが、生き物のように「見えてしまう」ということは、人間の認識の核心なのである.

カーテンの向こうに人間と人工知能を並べて、その応答に区別がつかなければ、そこに知能はある、というのが「チューリングテスト」だ.
著者は「チューリングテストに合格しても、知能があるとは言い切れない」という.
カーテンの向こうで、アルファベットしか理解できないイギリス人が、中国語で記述された質問文と答えを、マニュアルに従って出し入れしたら、中国人からは知能があるようにみえる、というのが「中国語の部屋」という反証である.
要するに何もわかっていなくても知能があるようにみえてしまう、という話である.
もともと他人の頭の中で「知的行為」がおこなわれているかどうかなど、本人以外あずかり知らぬことではないか.
目の前のモノがプリンであるかどうかは、食べてみればわかるのに、なぜプリンである理由を探そうとするのだろう.

この書とは別に、あまたの人工知能エンジニアたちの言い分を聞くと、
1台や2台のコンピュータでは出現しないが、数多くのCPUチップと巨大なメモリと高速の演算GPUを集めれば、やがてそこに「知能」や「意識」が現れると、信じている人がいる.
コップの水で「それ」は現れないが、プールや池ほども水が集まるとそれ、つまり「波」が現れるように・・
波は、水が作るのではなく、風や水の流れという外部の力が作り出す.
だから私が思うに、「知能」は個々の人間が作り出すのではなく、環境が、人間たちの中に作り出すのだろう.
つまり、AIが知能を生み出すのではなく、周囲にいる人間たちが、シリコンチップの中に、知能を見つけだすのである.

雑誌「Newton」の記事で、AI将棋のエンジニアの言い分が面白かった.
彼らのプログラム開発では、解釈性、つまり何でそうなったのかという理由の追求がしばしば放棄され、とにかく勝てばいいというやり口を、AI業界では「黒魔術」と呼ぶらしい.
科学技術の産物であるコンピュータで、黒魔術というのが可笑しい.
つまりここでは数式ではなく、まさに「物語」が生まれている.

この本の表紙に描かれたロボットは、実につまらなそうな顔をしているので、本を読んでいるフリをしている、ようにみえる.
私なら、笑いながら本を読むロボット、にするだろう.


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