錆びたナイフ

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2018年5月28日
[映画]

「紙の月」 2014 吉田大八


「紙の月」


梨花 (宮沢りえ)は銀行員で、自転車で個人客の家を訪問する外回りをしている.
客は、BMWを買い替えようかという夫婦、認知症が始まった一人暮らしの老婆(中原ひとみ)、それにセクハラ気味の老人平林(石橋蓮司)
皆、ある程度の金融商品はいつでも買えるという資産家である.
梨花は平林の家で大学生の光太 (池松壮亮)に出会う.
光太は梨花を気にして、駅であとをつけたりする.
夜、向かいのホームから自分を見つめる光太に気づいた梨花.
電車が行き過ぎると、光太のいるホームの跨線橋を、ゆっくり降りて来る梨花.
その足元だけを写すこのシーンは見事で、ゾクゾクする.
この時、梨花の中で何かが弾けたのだ.

梨花はやさしい夫(田辺誠一)と二人暮しで、夫婦間が冷めているようには見えない.
光太はサラ金から借りた学費を返せないので大学をやめると言う.
梨花は顧客から集金した金を彼に渡す.
「お金なんてみんなおなじじゃない」
「受け取ったら、たぶんなんか変わっちゃうよ」
「変わらないよなにも、200万くらいじゃ」
「ありがとう」
梨花は、ふとうれしそうな顔をする.
借金があると言い出したのは光太ではない.
ここから梨花の横領が始まる.

夫が海外に単身赴任して、梨花と光太の逢引はエスカレートする.
毎週末、ホテルのスイートに泊まって贅沢三昧をする.
高価な腕時計をプレゼントされて喜ぶ光太は、単に梨花が金持ちだと思っている.
男に騙されて金を貢いでいるのではない、騙しているのは梨花の方で、彼女はそうしたくてしている.

これ、いつかバレるよなぁ、と観客は思う.
夫にバレる
職場の同僚にバレる
銀行にバレる・・
例えば余命一年と宣告されたらこんなことができるかもしれない、と私のような凡人は思う.

認知症の老婆は、銀行から引き出した10万円を梨花から受け取って、200万円の受領書にサインをしている.
気がつかないのだ.
それで、誰も困らない.
こういうことは、実はいくらでもあると想像できる.
しかし定期預金の金を使い込んだら、つじつま合わせをしなければならない.
梨花は、パソコンやプリンターを駆使して、銀行の書類を次々と偽造する.
ホテルの請求書は100万を超え、光太のためにマンションを手に入れ、外車に乗り、梨花は美しくなってゆく.
この、どんづまりの暴走ぶりがこの映画の見どころ.

仕事に厳格な職場の先輩より子 (小林聡美)が、梨花の書類に不信を抱く.
ついに発覚する.
社内で対決する、より子と梨花.
「しあわせだけどいつか終わるなとも思ってた」と梨花は言う.
「ほんものにみえてもほんものじゃない、はじめからぜんぶにせもの」
「にせものなんだから壊れたっていい壊したっていい、こわくない」
「そう思ったら、なんだかからだが軽くなったみたいで、あぁあたし、自由なんだな」
「だからほんとうにしたいことをしたんです」
より子が反論する.
「信頼してくれた人を裏切って、お金盗んで、好き勝手に使って、自由ってそういうこと?」
「お金じゃ自由にはなれない」
「あなたが行けるのはここまで」

すると、突然椅子を振り上げ、ガラス窓を破った梨花.
飛び出す刹那、より子に言う.
「一緒に来ますか」
呆然とするより子.
梨花は遁走する.
いったい、どこへ?

ミッションスクールの高校生だった梨花が、アジアの被災地の少年に募金をし、その返事に感激して、父の財布からお金を盗んで募金を続ける話が伏線になっている.
さらに、映画の最後に、なぜかアジアの街に梨花が現れ、募金で救った少年と思われる男に出会うシーンがある.
私は、無用のシーンだと思う.
観客が梨花の行為に感じるのは、盗癖でも献身への報いでもない、深い「飢え」である.

宮沢りえは「美人」というのと少し違う.
それでも、この、ずっと思いつめたようなヒロインを「美しい」と感じるのは、とても孤独だからだ.
梨花の夫も光太も、どちらかと言えば正直で凡庸な人物で、魅力はない.
彼女は、男に貢ぐことで幸せだったのだろうか.
夫でも光太でもお客の誰かれでも、あの少年でも、彼女は本当に、人を愛したのだろうか.
後先も考えず自分が為したことだけが真実で、相手の気持ちは、どうでもよかった?

It' s only a paper moon.
お金は紙でできている、いや、
彼女は気づいてしまったのだ.
何もかも、紙でできていると.
より子も次長も支店長も大騒ぎをするが、みな、困ったふりをしているだけだ.
本当に困っている人などいない.
世の中に、してはいけないことなどない.

誰も、この女の心に届かなかった.
誰も、この女に追いつけない.


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