錆びたナイフ

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2018年1月9日
[詩]

「遺書」 1968 円谷幸吉


「円谷幸吉」



テレビで東京オリンピックのドキュメンタリーをみていたら、この言葉がでてきた.

「父上様母上様 三日とろろ美味しうございました。干し柿 もちも美味しうございました。
 敏雄兄姉上様 おすし美味しうございました。
 勝美兄姉上様 ブドウ酒 リンゴ美味しうございました。
 巌兄姉上様 しそめし 南ばんづけ美味しうございました。
 喜久造兄姉上様 ブドウ液 養命酒美味しうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。
 幸造兄姉上様 往復車に便乗さして戴き有難とうございました。モンゴいか美味しうございました。
 ・・・」

1964年のオリンピックでマラソン選手だった円谷幸吉の遺書である.
私には一編の「詩」のように思える.

この言葉に出会ったのは、もうはるか昔、新宿の紀伊国屋ホールで吉本隆明の講演会があった.
その舞台へどういうわけか詩人のねじめ正一が現れ、ロックバンドをバックに、
マラソンの瀬古選手と諍いを起こして、瀬古に追いかけられるという妙な歌を歌った.
「振り向けば、瀬古!」という歌.
私の記憶では、そこで、円谷選手のこの遺書の言葉を聴いた.
マラソン選手に追いかけられるというのは「悪夢」にちがいない.

「父上様母上様 幸吉は、もうすっかり疲れ切ってしまって走れません。」
円谷選手は誰に追いかけられたのか.
ほんとうに苦しいとき、ひとはものを食べる気にならないし食べても味がわからない.
少しでも美味しく感じるとしたらそれは、生きる気力の芽生えなのだ.
だれかれにもらった食べ物が美味しかったと感謝しながら、それでも自死を選ぶのだとしたら、なんと哀れなことだろう.
遺書はこのあと、子供たちの名前が並んでいる.
姪や甥っ子たちだろう.
「立派な人になってください。」
子供たちの笑顔を思い出しても、生きる気にはならなかった.
人間には癒せないほど、彼の魂は遠くまでいってしまったのか.

映画「おくりびと」の中で、山崎努が妻の死を思い出しながら、フグの白子を食べるシーンがある.
「これだってご遺体だよ
 生きものが生きもの食って生きてる、だろ
 ああ、死ぬ気になれなきゃ食うしかない
 食うなら、美味いほうがいい
 美味いだろ
 美味いんだよな、困ったことに」

美味いんだよな、困ったことに.
それで、ひとは、生きられる、か.


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