錆びたナイフ

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2017年12月17日
[映画]

「グランド・マスター」 2013 ウォン・カーウァイ

「グランド・マスター」

「カンフーに師匠とか流派は関係ない、負けて横たわるか、勝って立つかだ」
冒頭、どしゃぶり雨の中で大勢の敵を次々と倒す、黒いコートにパナマ帽のこの男、まるで「マトリックス」のネオとエージェント・スミスの戦いである.
いや、この流れるような映像と華麗なカット、ゾクゾクする音楽は、ウォン・カーウァイの世界である.
男はイップ・マン(トニー・レオン)
舞台は日中戦争直前の中国.
北の宗師(グランド・マスター)ゴン・パオセンは、南のイップの実力を認め後継者にしようとする.
それに反発するパオセンの娘ルオメイ(チャン・ツィイー)
傲岸な一番弟子マーサン(マックス・チャン)
八極拳の宗師・カミソリ(チャン・チェン)
五どもえの権力闘争活劇か、というとそうでもない.

イップとパオセンは中国流の大人(たいじん)で、沈着冷静な態度と強い意志を持った男だ.
ルオメイはアジア人好みの美形で、その上父から伝授された拳法の達人でもある.
日本軍が中国に侵攻すると、カミソリはそれに刃向かう暗殺者になる.
跳ね上がりのマーサンは、自分を破門した師匠パオセンを殺したうえ、日本軍に協力して勢力を伸ばす.
パオセンは遺言で報復を禁じるが、ルオメイは復讐を誓う.
日本軍に協力しないイップは経済的な苦境に立つ.
で、話はふいと戦後になる.
香港でイップとルオメイが出会う.
イップはカンフー道場の雇われ師範で、ルオメイは医者になっている.
ついでに、カミソリは床屋になっている・・
ルオメイはイップに、十年前奉天北駅でマーサンと闘い彼を倒したことを話す.
悪役マーサンを倒すのは主人公イップだと思っていたから、あれれと思う.
カンフーがテーマではない、中国の戦中戦後を生き抜いた武闘家たちの話なのである.

ルオメイは「本当のことを言うと、あなたが好きだった」とイップに告げる.
かつての二人の激しい武闘シーンは、肉体と心がぶつかるラブシーンだったのである.
カーウァイのカメラは千変万化し、彼らの表情は実に豊かで、まちがいない、これはカンフーに名を借りた恋愛映画である.
その後、ルオメイは香港で病死し、イップは香港から中国本土に戻れず家族に会うことはなかったと、足早に告げて映画は終る.
個人の肉体的な暴力など、時間の暴虐に比べれば何ほどでもない.

史実としてのイップはブルース・リーの師匠だったという.
「拳法のために生きるのではない、人として生きるのだ」とリーの言葉が最後に出るが、彼のすごさは、アチョーという奇声とともに、殺戮マシンと化すあの表情と肉体である.
「自分を知り、世間を知り、人生を知る」というような人生訓を武術に求める時代が、かつてほんとうにあったのだろうか.
体が吹き飛ぶような戦闘シーンを、この監督は流麗でスタイリッシュなダンスのように描いている.
その緊張感と充実感は見ものだが、トニー・レオンは小柄な中学校の先生のような風貌で、普段はさえない顔をしている.
己れしか頼るもののない武闘家は、勝っても負けても自らの身体を丸太のように投げ出すしかない.
アチョーと声を上げなければ、ホントはとてもやってられない.

映画「マトリックス」のカンフー戦闘がコンピュータのプログラム同士の戦いであったように、敵がバッタバタとなぎ倒されるシーンは、実は暴力描写ではないのではないか.
倒された「敵」のたった一人にも家庭と人生があり、それだけで一つの小説が書けるという秘密を無視して、映画は成り立っている.
だからその闘いは、ダンスでもジャンケンでもよかったのだ.


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