錆びたナイフ

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2017年10月2日
[映画]

「ズートピア」 2016 B・ハワード/R・ムーア

「ズートピア」

「ズーのユートピア」では、動物はみんな服を着て二足歩行をしている.
蛇に服を着せるのは難しかったのか、爬虫類はいない.
体の大きさに合わせて電車のドアは3種類あるし、ネズミの住む地区は建物が小さい.
動物の性格を職業やキャラクターにあてはめるのはディズニーアニメの真骨頂で、騒々しい大都会を闊歩する動物たちは、NYやLAの人々そのものである.

ウサギのジュディは、世界を良くするために警察官になりたいと、警察学校を優等で卒業して、ズートピアの警察署に配属される.
しかし水牛署長は、ウサギに警察官など勤まるかとジュディを無視する.
この大都会、ユートピアのはずが、実は犯罪がある.
駐車違反と窃盗と、そして連続行方不明事件.
私に捜査をさせてと張り切るジュディに、署長は、48時間以内に行方不明者を見つけ出さなければ警察をクビ、という条件を出す.
なんだかアメリカ映画によくある話で、またかよ、という気がする.
ジュディは街のチンピラ詐欺師キツネのニックを「だましておどして」相棒にする.
「ずるいウサギとマヌケなキツネ」というところが面白い.

肉食獣が狂暴化する植物を使って悪いことをするヤツがいる、というのが物語のタネで、
友人を信頼すること、偏見と決めつけで社会を分断しないこと、ドラッグを排除すること、オカマもヌーディストもみんな共存という多様性を保つこと.
それに、何かになりたいと希望をもつこと、それに向かってあきらめずに努力すること.
どれも現代アメリカ社会の定番メッセージである.
しかしここで思考が止まっている.
ユートピアであるための大原則、肉食動物は草食動物を食べない.
ウサギを食べないキツネを望んだのは、ウサギたちだろう.
トラがキツネを食べないのなら、最高捕食者であるトラやライオンは、何が望みでズートピアにいるのか.
ズートピアに肉屋はないのか?
いや、きっとどこかにあるのだ.

捕食者がいない代わりに市長や警察署長といった権力者がいて、彼らはおうおうにして悪者だったりする.
「狂暴な猛獣」というのはいない.
捕食するものもされるものも全力疾走するのは、生きるためである.
ズートピアには、解体した食物連鎖という平等と、生きるために走らなくてもいいという自由がある.
この映画を作った人間は、猛獣たちが木の実を食べていた頃のエデンの園、つまりアダムとイヴが「知恵の実」を食べる前の世界が、「知恵」を使って実現できると考えている.

もしニックがジュディを食べるかもしれないとしたら、この二人のコンビは俄然面白くなったのに、と私は思う.
「あっ、今、わたしを食べようと思ったでしょ!」

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