錆びたナイフ

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2017年8月21日
[本]

「こゝろ」 夏目漱石


「こゝろ」

教科書にも載っている有名な作品だが、昔から気がかりなところがあった.
なぜ、先生は死を選んだのか.
なぜ、題名が「こゝろ」なのか.

青年の話である.
若いということがどういうことか、 読んでいて息苦しくなるほど、若人の迷いのオンパレードである.
青年の血気と苦悩をこれほど緻密に描いてみせたこの小説は、日本も近代も超えている.
若い女性としてのお嬢さんと、軍人の妻であったという、その母親も魅力がある.
大人と若者とは、態度も考え方もはっきり違っていた時代.

「私は未来の侮辱を受けないために、今の尊敬をしりぞけたいと思うのです。私は今よりいっそう寂しい未来の私を我慢する代わりに、寂しい今の私を我慢したいのです」
なぜ先生の考えは厭世的なのか、その妻にも理由はわからない.
先生には何か秘密があって、前半はまるでミステリーのようである.
語り手の若者が先生と出会うことで、先生は自からの若い頃に再び向き合うことになる.
若者もまた郷里にいる病気の父との行き来で、大人の世界と向き合うことになる.
この小説の後半は、先生が学生だった頃の長い告白で終っている.
つまり二人の若者を描きながら、この世捨て人のようなこの男、先生の圧倒的な苦悩を再現している.
新聞の連載小説だったとは信じられぬほど、見事な作品だと思う.

若い頃に両親を亡くし、学生だった時に叔父に騙され財産をなくして人間不信になった、と先生は言う.
下宿に同宿した友人Kと、下宿先のお嬢さんをめぐって三角関係になり、先生は友人を出し抜いてお嬢さんと婚約する.
すると、Kは自殺してしまう.
自分は卑劣な人間だったと、先生は自分を責める.
しかしそれが厭世的になった理由、なのだろうか.
この事件の顛末は何度読んでも、小説として完璧で真に迫っている.
しかしそれでも、妻を愛し妻に愛された男が、彼女を残して、明治天皇の死をきっかけに自死するというのは理解し難い.

「自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。ひとに愛想尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです」
青年の正義感と悔恨がどれほど深くても、人間の為す悪など高が知れている.
Kが先生に向かって「お前は卑怯だ」となじったなら、二人は生きていけたのかもしれない.
Kは先生を非難することも憎むこともしなかった.
それがなおさら先生を苦しめた.

終ってしまったことをクドクド考えてどうする、お嬢さんと幸せに暮らすのがKのためではないか.
そんなに苦しいなら、妻に全て話せばいいのに・・
と、若い頃この小説を読んだ私は思った.
「私はしまいにKが私のようにたった一人で寂(さむ)しくってしかたがなくなった結果、急に処決したのではなかろうかと疑いだしました。そうしてまたぞっとしたのです。私もKの歩いた道を、Kと同じようにたどっているのだという予覚が、おりおり風のように私の胸を横ぎりはじめたからです」
Kの自死は、失恋したからでも、友(先生)に裏切られたからでも、自分に失望したからでもなかったのか.
狂気に落ちたリア王のように、憎悪や悔恨のはるか先まで行ってしまう.
心は壊れて、世界は静かになる.
だれも、いない.
ここは、どこ、なのか.

乃木将軍の殉死について先生はこう言う.
「乃木さんはこの三十五年のあいだ死のう死のうと思って、死ぬ機会をを待っていたらしいのです。私はそういう人にとって、生きていた三十五年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、どっちが苦しいだろうと考えました」
キリスト教の「原罪」を背負うように、自分はこの世に生きられぬという「負のチカラ」で辛うじて余命をつないでいる.
生きることは罪であり苦しみはその罰であるという発想は、戦乱や飢餓や病に根差すのではなく、「人間」のありようがそれを根拠としている.
自らの生に罪があると考えること、(神を失い)「たった一人で寂しくってしかたがない」こと、そのものが「近代」である.
そして人間に「原罪」などない、というのが「現代」である.


「こゝろ」

これはもう一冊持っていた文庫本.
現代かな遣いで読みやすい.
カバーイラストの男性は若い頃の先生だろうが、どういうわけか洋服を着ている.
この小説は男女の物語ではない.
今時の小説なら、先生とKとの間に潜在的な同性愛があったと考えるだろう.

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