錆びたナイフ

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2017年8月11日
[本]

「現代短歌入門」 岡井隆


「現代短歌入門」


1960年代に書かれた短歌論.
これから短歌を読もう/作ろうという初心者向きの本に非ず.
戦後から安保闘争終焉までの社会を背景に、歌人岡井隆が「現代」短歌を論じている.

「革命者気味にはしやぎてとほる群衆の断続を見てかへるわが靴の音」斎藤茂吉

「この単純な五・七のリズムの組み合わせからなる三十一音の定型詩は、秀れて非散文的な特徴を持っております。それは、反散文的と言っていいかも知れないほどであります」
「反散文的ということは、反俗的、反日常的、反大衆的ということばで言いかえてもいいかと思います」
戦後動乱期の、嵐のような熱気を感じる.
短歌は、このままでいいのか、短歌で、何ができるのか.
それはもはや花鳥風月でも恋愛の問答でもない、紛れもなく時代に対峙し個人の自由を歌いあげる表現としての短歌だった.
「われわれの連作を貫く大主題が、平和と革命であることは、はっきりしているからです」
「「革命」は「反革命」を、「平和」は「戦争」を、対概念として常にはらんでいると思うのです」

戦後の民主主義、中国・アジア諸国の独立、社会主義の拡大が、著者の気持ちをはやらせたのだろうか.
岡井は、「語彙と模倣、定型、韻と律、連作、喩法、文語と口語」といった技法や短歌の構造をもとに、千年を超えて生き続けるこの定型詩のありようを探っている.
しかし、技法を習得すれば優れた短歌が作れるわけではない.
岡井は自分の洞察力が、個々の短歌の真の価値を見抜いているという確固とした自信を持っている.
しかし、優れた歌という「価値」の根拠はどこにあるのか.
著者の広範な見識は力にあふれているが、論旨は迷走し同じところに戻ってくる.
「これは、歌を作るときの経験だけではありません。歌を読むときも、われわれの言語生活の流れに一種の"ひきつり"に似た惑乱がおこるのは、書く場合と同じであります」
「ひきつり」とは自己表出の衝動であり、同時に表現されたものが持つ価値でもある.
その「価値」は、短歌の三十一文字そのものの中になければならない.

とりあげる歌や歌論は戦前のものも含んでいる.
岡井は戦争世代だが、なぜかあの大戦ではなく60年安保闘争が、歴史の転換の象徴になっている.
その時心底、何かが終わったのだ.
そして私の知る限りでは、二つの著作が、表現としての言葉の構造と、その意味の先にある「価値」の根拠を切り開いてみせた.
『日本語はどういう言語か』三浦つとむ(1956年)
『言語にとって美とはなにか』吉本隆明(1965年)

半世紀後の今「革命」も「反革命」も「平和」も「戦争」も消費の対象でしかない.
テレビCMには「"ひきつり"に似た惑乱」があふれている.
短歌は、耐えうるのか.

「不渡手形訴求権のごとき恋 されば六月の鯖かがやける」塚本邦雄


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