錆びたナイフ

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2017年3月24日
[映画と本]

「くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ」 2012 バンジャマン・レネールほか


「くまのアーネストおじさんとセレスティーヌ」


フランスのアニメーション映画.
原案はベルギーのガブリエル・バンサン.
地上はクマが住んでいて、地下にはネズミが住んでいる.
ネズミの孤児院でもクマは恐ろしいと教えられているし、むろん地上のクマたちもネズミは大嫌いだ.
孤児院のセレスティーヌは絵を描くのが好きな少女で、一方クマのアーネストは街頭で歌う貧しい音楽家だ.
このふたりが地上の町で出会い、一緒に暮らすようになる.
セレスティーヌは一丁前のことを言うし、アーネストは優しくて頑固で、お互いは対等、ほんの時折大人と子供の関係になる.
それはアーネストがセレスティーヌを守ろうとするだけではない、セレスティーヌもアーネストを守ろうとする.
静かで幸せな日々もつかのま、アーネストはネズミの、セレスティーヌはクマの警察に捕らえられ、裁判にかけられる.
ふたりが望む単純な生活を、そうしてはならないというたくさんの「正当」な理由が、存在するのだ.
ともあれ最後はハッピーエンドで、ふたりは以前のようにアーネストの山小屋で暮らす.

バンサンのアーネスト・シリーズ絵本は10冊以上あって、そこではクマもネズミも一緒の社会に暮らしている.
人間も出てくるし、要するにクマみたいな人とネズミのように小さい人がいる、といったほうがわかりやすい.
「セレスティーヌ」という170頁もある絵本に、映画とは違うふたりの出会いが描かれている.

「セレスティーヌ」

ゴミ箱で拾ったまだ目もあかない赤ん坊ネズミをアーネストが育てる.
そのようすを、バンサンは墨絵のようなデッサンで、一頁一枚づつゆっくり丹念に描いている.
小さな命への慈しみにあふれている.
セレスティーヌと暮らすことは、アーネストの人生の慰みと張り合いなのだ.

映画は、オリジナルのバンサンよりアニメ風で快活なタッチになっていて、「フランス製ハートウォーミング・ファンタジー」に違いはないが、私はどこかこの社会のザラっとした抵抗感を感じる.
アーネストもセレスティーヌも、町の人々の中に行き場がないのだ.
こんな男女の逃避行の映画を、たくさん観たような気がする.
バンサンの絵本を読むと、アーネストがルーマニアからやってきて、サーカスのピエロや道路清掃の仕事をして、社会の底辺で生きてきたことがわかる.
こういう人間に対して、西欧社会は決して優しくない.
法律も道徳も警察も裁判所も、市民を守るためにあるのではない、うまい汁を吸っている連中の利権を守るためにある.
例えばこの映画に出てくる、夫がお菓子屋で妻が入れ歯屋という裕福なクマ家族がそれである.
だから、アーネストは生きるためには何でもやる.
飢えたら食べ物を盗んでも恥じる事はない.
善良で隣人愛に満ちたはずの人たちが、ある日他人を怖れ、自分ではない誰かを名指し、排除しようとする.

大きなものに守られる安心と、小さなものを慈しむ思いと、孤独なふたりが出会った居場所を、社会が許容しない
アーネストもセレスティーも社会を非難しないし、要求もしない、そっとしておいてほしいと言うだけだ.
彼らの願いはかなったが、しかし、抑圧も排除も、その彼方からやって来る.


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