錆びたナイフ

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2017年2月15日
[本]

「近代の超克」 河上徹太郎ほか


「近代の超克」


「近代の超克」とは、当時「大東亜戦争」と呼んでいた「太平洋戦争」が始まった翌1942年、雑誌「文学界」に掲載された一連の論文と討論会のテーマである.
河上徹太郎、亀井勝一郎、林房雄、小林秀雄、三好達治、下村寅太郎、中村光夫、鈴木成高ら、日本の知識人13名が参加している.
時の政府や軍部に協力するために発案されたのではなく、各人が日本の展望を述べたものだが、結果的に戦争とファシズムに加担したとして、戦後、彼らは指弾の的となった.

今、これらの論文や討論会の記録を読んでも、読むに足りるのは小林秀雄と林房雄くらいで、あとはとてもつまらない.
冒頭の論文で亀井勝一郎は「精神の危機、言葉の危機、感受性の頽敗、機械の発達による速度の急激な増加」を憂いている.
これだけ読めば、いつの時代にも聞く繰り言だが、
「近代日本の、たとへば自由主義と呼ばれ共産主義・唯物思想といはれたものは、悉く「平和」の時代に蔓延したこと注目すべきだ。文明の毒は「平和」の仮面のもとはびこるのである」
「戦争よりも恐ろしいのは平和である。・・この戦場において一切の妄想を斥ける明晰さと恐れを知らぬ不抜の信念とが民族の興廃を決するであろう。奴隷の平和よりも王者の戦争を!」
となると尋常ではない.
亀井にとって、社会の危機を回避するための非常手段であるはずの戦争が「目的」と化している.
問題は、何一つ解決しない.
この言説は、現代のテロリズムと驚くほどよく似ている.

「資本主義の害悪が極度に達し、政党と財閥が国を私せんとし、天皇機関説は黙認され、外国の謀略は日本の軍備をすら無力化さんとし、都会と農村の勤労階級は窮乏の底にあって、国の亡ぶ日や近しと思われたとき・・・」
この林房雄など比較的真っ当な論述で、
朝日新聞の記者である津村秀夫の論旨は、アメリカ嫌いの単なるヘイトスピーチであり、吉満義彦の神学論は、これが日本語か思うほど意味不明である.
彼らは全員が東京帝大/京都帝大卒の英才で大半は大学教授だが、私には「大学教授の書く本はつまらない」という偏見があるので、こういうしょーもない文章を読まされても驚かない.

参加者の誰もが、西欧を超える日本人精神の支柱として「古典」を至上のものと崇めている.
古事記や万葉集のことである.
「我が古典の精神が、文明の毒に対する最良の妙薬として考へられてゐるのは当然である。」
と亀井は言うが、さすがに三好達治はそんなこと言わない.
「古典は我らにとつては、後世の我らを眼中におかず計算に入れずに(極めて自然に)我々に遺されたところの遺産である」.
こういうごく普通の感性をもっていたのは三好だけだ.
小林秀雄が、時局を超えた文学固有の価値を固辞しようとしていること、林房雄がウルトラ右翼発想で時局を見抜いているのが唯一興味を引く.

それでも戦前昭和期の行き場のない閉塞感だけは、全員に共通している.
林が言うように、文化は疲弊し国民は窮乏の底にあった.
彼らはそれを、明治維新以来の文明開化/近代化の弊害としてとらえ、日本古来の伝統と精神を取り戻すべきだと考えた.
そして「大東亜戦争」が、西欧の帝国主義と西欧的価値観から、日本とアジアを解放するきっかけになると考えた.
それを率いるアジアの盟主は、アジアで最初に近代化を成し遂げた日本しかあり得ない.
実はどうにも納得のいかない日中戦争から、世界の強国米英を相手にする戦争への拡大は、晴れ上がった空のように、これですっきり覚悟ができたと、知識人だけでなく庶民も喝采を上げたのである.
しかし、現実を見れば何もかも絵空事なのが分かる.
世界に戦線を広げても、日中戦争は終わらなかったし、中国・朝鮮の人民と共に帝国主義と戦うことなどあり得なかった.
日本の政策そのものもまた帝国主義だったからである.

彼らの論理は、それちゃんと調べたのか?と言いたくなるような「牽強付会・十把一絡げ」で、その後流布される「鬼畜米英」や「八紘一宇」「パーマネントはやめましょう」のスローガンと同じなのである.
明治の近代化の基本を西洋の科学技術とみなしながら、東洋の「心」をもってすれば、それが別のものに変貌することを夢見て生み出したのは、「特攻」という名の自爆テロと、竹ヤリで闘う民間人だった.
そうして死んでいった人間にとって、それは戯画などではない.
いつか終わるはずの戦争が「総力戦」となった時、国民と世界の市民を「十把一絡げ」に捉えようとする国家に対して、日本の知識人は無力だったが、
しかし、彼らが75年前に主張した、外から入ってくる悪を排斥せよ、民族の尊厳を守れ、という声は今、世界中から聞こえてくる.

巻末に、戦後に書かれた竹内好の論評が掲載されている.
「「近代の超克」の最大の遺産は、私の見るところでは、それが戦争とファシズムのイデオロギイであったことにはなくて、戦争とファシズムのイデオロギイにすらなりえなかったこと、思想形成を志して思想喪失を結果したことにあるように思われる」
この緻密で大胆な論理をみれば、本来思想とは、こうして生み出されるものだとわかる.

この書を批判しても、ある課題が丸ごと残っている.
敗戦で日本人が、憑き物が落ちたようにポロリと忘れてしまったもの.
この13人の知識人たちには想像が及ばなかったもの.
当時「国体」という名で愚弄された、その遥か彼方にあったもの.
君が代の「君」とは誰か、ということである.
むろん、天皇のことではない.


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