錆びたナイフ

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2017年1月24日
[本]

「奇抜の人」 木村俊介


「奇抜の人」


「埴谷雄高(はにやゆたか)のことを27人はこう語った」
木村俊介はインタビューアーである.
インタビューされたのは、埴谷家の向かいの住人、写真家、編集者、評論家、作家、思想家、珈琲店主人、家政婦、尺八奏者、エッセイスト、作曲家、彫刻家、画家、哲学者、詩人・・
近所の人ばかりではない、瀬戸内寂聴から坂本龍一まで登場、「戦後」の日本文学を背負った面々の話は、多様な人間模様に満ちている.
彼等が語る自身の来歴も興味深いが、百人百様の埴谷像というのが何より面白い.
これはインタビューアーの力量だと思う.

共産党員だった戦時中に投獄され、獄中でカントを読んだこの男埴谷は、戦後長い時間をかけて「死霊」という小説を書いた.
十数年前の私事だが、知りあった会社員と話をしていたら、彼が吉祥寺の埴谷家に出入りしてこの老人の肩揉みをしたことがあると言うのを聞いて、びっくりしたのを思い出した.
奇抜な人というだけではない、埴谷は気さくな人だったのだろう.
私は、ほんとうは「この世に足掛かりを持っていない人」だったのではないかと思う.

ひたすら宇宙的マクロとミクロの視点で、人間存在を中空に浮かせてみせた、この美男で奇矯な男の生き様は、まるで鏡のように、語る者自身を映し出す.
「奇抜の人」というのは、「変人」であり「優れた人」という意味だが、このインタビューされる人々も十分「奇抜の人」である.
小川国夫、鶴見俊輔、秋山駿、三田誠広、中村真一郎、小島信夫、吉本隆明、みんな要するに自分のことを語っている.
「埴谷さんが西田(幾多郎)と違うのは悲哀を持っている点です。西田には戦うことや自分の哲学で納得することへの悲哀がない。・・悲哀を感じることが存在革命なのではないか?」
抜き打ち的「埴谷雄高論」としては、この鶴見俊輔がずば抜けている.
それから、未来社の担当者だった松本昌次と、家政婦・古澤和子の話が面白い.
ヒトがヒトを思い出し語り伝える.
はたしてほんとうのそのヒトはそこにいるのか?
思うに「ニンゲン」は、「他人」で出来ているのである.

「Mの世界」の三田誠広と聞いて、我が身の高校時代をまざまざと思い出した.
三田の埴谷体験談は、私のあの時代の友人たちの空気によく似ている.
埴谷雄高が鬼籍に入って20年
王の前で「Grace」と聞こえるように「ぐれーつ(愚劣)」と言ってのける道化師.
彼と彼等と(私も)、あったかもしれない戦後という時代の、古びた写真のようにみえる.


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