錆びたナイフ

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2016年9月20日
[本]

「ユリシーズ Ⅰ」 ジェイムズ・ジョイス

「ユリシーズ Ⅰ」


20世紀初頭のイギリス(アイルランド)・ダブリンを舞台にした小説.
全4巻中最初の1巻
450頁の本文に、上下2段組の訳注が159頁も付属している.

「なんとなれば、ああ、皆様方、これこそはまことのクリスティーン様、肉体と魂と血と槍傷ですぞ。ゆるやかな音楽を、どうぞ。諸君、目をつむって下さい。ちょいとお待ちを。この白血球どもが少々手間をかけておりましてな。みんな、静かに。」
英国人は、普段こんな喋り方をするのだろうか.
キリスト教の隠喩?、詩と歴史の芝居がかった戯画.
登場人物が発する言葉に、膨大な文化的意味が含まれている、ということらしい.
こんなもの、とても読む気にならない.
文句たらたら、少しづつ読んでいると、なんだかジワジワ面白い.

主人公(の一人)ブルームは、肉屋と郵便局と教会とトルコ風呂へ行き、墓地で葬式をして新聞社に立ち寄る.
街中を歩きながら、ブルームの頭の中に沸き起こる思いを、ジョイスは延々と描写する.
「もし女神がピグマリオンとガラティアのときみたいに口をきいたら、最初にどんなことを言うだろう? 死すべき者よ! 分際をわきまえなさい。神々と食卓を囲んで神酒をがぶがぶ飲む、黄金の皿、すべて神々の食事。われわれの六ペンスのランチみたいにボイルド・マトン、にんじんに蕪、オールソップ印のビール一瓶なんてものじゃない。神酒、まあいわば電光を飲むようなものかな。神々の食物。美しい女の体、ユーノーの彫像のような。不死の美しさ。ところがわれわれは一方の穴から詰め込んで後ろから出す。食物、乳糜、血液、糞、大地、食物。機関車の火をたくみたいに食べものを入れてやらなきゃならない。女神たちにはない。見たことがない。今日はひとつ見てやろう。館員には気がつかないだろう。何か落してかがみこんで下から。いったい女神にも。」
レストランの木目の曲線から女神を連想したブルームは、博物館の彫像に肛門があるか?と想像しているのである.
サイバー空間にジャックイン、したみたいな、妄想、妄念、雑念、取り留めのない確執と噂話.
猥雑で凡庸で頑迷でしかありえないとでもいうような、登場人物たち.
産業革命の果てに行き着いた都市の、汚泥と煤煙と喧騒.
当時のイギリスの市井の人々の暮らしが、ありありと描かれている.
これは見事だと思う.
このしようもない展開が、ギリシャ神話のオデュッセイアを再現しているのだとしたら、現代の都市の一日もまた、神話の世界だということになる.

ヨーロッパは、何処の地面を掘り返しても、ごろごろ遺跡が出てくるのだろう.
ヨーロッパ人の頭の中も、どう掘り返しても、宗教と世俗と罪と欲望が出てくる.
それがまるで言葉の洪水のように溢れて、言葉以前の無意識に到達することができない.
この小説は、数々の言語的歴史的文学的実験であると解説にあるが、私には、コトバでできたニンゲンという積木細工の、どん詰まり喜劇のようにみえる.
首にダイナマイトを巻きつけて爆死する、ゴダールの映画を思い出した.


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