錆びたナイフ

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2016年8月14日
[映画]

「日本侠客伝」 1964 マキノ雅弘

「日本侠客伝」


スタジオセットもオープンセットも見事で、脚本もカメラも演出も文句がない.

舞台は昭和の初期
清治(中村錦之助)は、女房のお咲(三田佳子)と長屋で暮らしている.
小さい娘きよ子がいる.
ふたりは五年前、木更津から駆け落ちしてきて、追手に追われてもう死ぬしかないと思った時、木場政の親分に救われたのである.
清治は木場政組の客分となり、一目置かれているが、自分はバクチ打ちだという.
お咲は清治に、たばこ屋を開いて堅気(かたぎ)の商いをしようと言う.
木場政組は深川で古くから運送業を営んでいる.
例によって新興の沖山運送が、卑劣な手段で木場政組に敵対し、木場政の病死を境に、沖山兄弟(天津敏と安部徹)の嫌がらせはエスカレートする.

ある夜清治は、お咲に酒の支度をさせる.
お咲は、夫が単身殴り込みに行くのだと気づく.
「ひどいよ、あんた」
「きよ子には、ヤクザの亭主を持たすんじゃねぇぞ」
男はそのまま出てゆく.
たばこ屋の主人などできるわけがない.
はなからそう思っていた.
駆け落ちから救われて、夢のように所帯がもてた.
しかし彼の生はそこで止まったまま、どうやって死ぬかしか考えていないのだ.
この映画の主人公は、木場政組の小頭長吉(高倉健)である.
映画の最後の殴り込みの前に、主人公抜きで、ひとり敵陣に切り込めば、成果はない、というのがヤクザ映画のルールである.
敵役である沖山兄弟を殺せず、逆に惨殺された清治の行為は、無為で無効である.
断固として無意味であること.

堅気で暮らせないというのは、男の心意気というより、堅気で暮らせるかもしれないという恐怖なのだ.
女子どもに優しいこの男の腹の底に、凶暴なケモノが潜んでいる.
ヤクザ映画の主人公たちは、そういう自分をよく知っている.
『男の喧嘩は一生に一度しかない』という木場政親分の言葉は、「一生が女房との喧嘩だ」と言い直せば、まっとうな生活と等価である.
ケモノを飼わなければ、とうてい勝ち目はない.


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