錆びたナイフ

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2016年7月15日
[映画]

「マッチ・ポイント」 2005 ウディ・アレン

「マッチ・ポイント」


プロのテニスプレーヤーだったクリス(ジョナサン・リース・メイヤーズ)は、ロンドンのスポーツクラブでコーチの職を得る.
クラブで知りあったトム(マシュー・グード)と親しくなり、その家族からも信頼される.
トムの家族は裕福で、やがてクリスはトムの妹クロエ(エミリー・モーティマー)に愛されて結婚し、義父の会社の要職に就く.
ラッキーな出会いと、思いがけない豊かな生活.
しかしクリスには秘密があった.
彼はクロエと結婚後も、かつてトムのフィアンセだったノラ(スカーレット・ヨハンソン)と密会を続けている.
俳優になることを夢みているノラは、艶やかで官能的だが、それほど魅力があるのか.
ノラが妊娠する.
クリスに今の生活を捨てる気はない.
口先だけ妻と離婚すると言うクリスは、ノラに責められ、進退窮まる.
そして、え、まさか、ウディ・アレンとは思えぬ展開.

その殺意は、愛憎というより、やらねばならぬ困難な宿題のようだ.
どうしてもあきらめきれなかった女から、今度は逃れようとする男の、滑稽と悲惨.
クリスは罪を免れるために、ノラの隣家に押し入り、強盗の巻き添え殺人を仕組む.
人を殺すという行為の恐怖と嫌悪とおののきが、ただごとではない.
クリスの動揺を見ていると、とても逃げおおせるとは思えない.
冒頭、テニスボールがネットの上で跳ねて、どちらに落ちるか偶然が勝敗を分けるという話が、終盤に再現する.
そのささいな偶然が起こり、クリスは警察の追及から逃げきる.
表題の「マッチ・ポイント」は、テニスなどで試合を決める最後の1点という意味だが、クリスは最後に「勝った」のだろうか.
ノラとお腹の子供と隣人の命を奪った行為を、一生背負って生きると述懐するクリスは、もはやかつての彼ではない.
クリスは、自分の不誠実と愚かしさの先に押し出された.

スコットランドの裕福ではない家庭に育ったクリスと、イングランドの貴公子然としたトムと、自分の可能性を信じるアメリカ人のノラと、この三人の若者が背後に負っている「歴史」を、ヨーロッパで映画を作り始めたウディ・アレンは、敏感に感じたのではないだろうか.
ここでヒトは、無垢なままでは生まれてこない.
テレビドラマでは、毎回のように殺人事件が起こるが、ヒトがヒトを殺すという行為は、強い動機と、有無を言わさぬきっかけがなければ、誰にでもできる話ではない.
クリスの殺人は、話の上では納得できても、これはありえないと感じる.
アメリカなら、クリスの罪は発覚し、司直の手に渡っただろう.
自分の努力ではない偶然で、罪を逃れるなどという話は、アメリカ人にうけない.

「愛に負けるか。欲に勝つか。それでも人生は、運が決める」とは、陳腐なコピーだ.
ウディ・アレンは、クリスを追い詰め、この男がこの世にある限り罪を負うことを求めたのだ.
問題は、人を殺したことではなく、罪を負ったことだ.
だから最後に、夫婦の子供を得て、幸せな生活の中にいるクリスの「うわのそら」は、ヨーロッパ人の歴史そのものである.


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