錆びたナイフ

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2016年6月20日
[本]

「異端の数 ゼロ」 チャールズ・サイフェ

「異端の数 ゼロ」


「初めの一歩」という手前の、「何もない状態」を数えるか、という問いである.

「右から三人目の人」と言えば、右端の人は一人目である.
「新宿から三つめの駅」と言えば「新宿駅」は数えない.
キリスト生誕から100年間が1世紀なら、21世紀は2001年からである.
では紀元前21世紀とは?
今は「0歳児」という言い方をするが、かつて、赤ん坊はだれも1歳で生まれ、翌年の一月、誰もが1歳年をとった.
暦という数列が容易に入手できるようになった近代以降、誕生日などという剣呑な風習が生まれた.

「最初の1」の前にあるものは何かとは、産まれる前にあったもの、世界を創成したもの、宇宙の生と死を意味している.
アリストテレスとキリスト教が恐れたゼロ、という前半の話がおもしろい.
アリストテレスは1,2,3の自然数フェチだったから、ゼロも無理数も忌み嫌った.
ゼロはインドで生まれ、イスラム教を通してユダヤ教にも広がったが、キリスト教は無限と無を怖れた.
「無」は、虚無=暗黒=悪魔であり、宇宙が「無限」なら、どこに中心(=地球)があるのか.
X-Y軸で0を原点とするデカルト座標は、方程式と幾何学とを結びつける最強の発想だが、「デカルトは死ぬまで、無-究極のゼロ-は存在しないと主張しつづけた」
やがてパスカルが水銀柱を使い、この世で「真空」という「無」が存在しうることを実証する.
数列の中にゼロを入れることで「数学」は飛躍的に進歩するが、ゼロで割ってはならないというジレンマに遭遇する.
それは「無限」という怪物を、人間社会に呼び覚ます.
巧妙に無限小を使いこなしたニュートン/ライプニッツの微分積分法は、社会に必須のツールになる.
人間は、ゼロと無限を数学的に手なづけていくのである.

著者サイフェの話は、科学史を数学とともに解説していて、とても興味深いが、後半に登場するビッグバンやブラックホールや真空のエネルギーの話は、さんざん聞いた話なので退屈.
話の基本は数学で、無限にある有理数より無限にある無理数の量が大きいという証明など、私には、アキレスは亀を追い越せないという話と同じに聞こえる.
私たちはたまたま、アキレスが亀を追い越せる世界に、いるのではないか?

「はじめのい〜っぽ」と言ってピョンと跳ぶ、人間が行為を起こす前にあるものは、ベンジャミン・リベットが実証したように「無意識」である.
だからこの書は、ゼロと無限という名の「無意識」に迫ろうとしているのだが、サイフェはそれを意識していない.


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