錆びたナイフ

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2016年3月23日
[本]

「ドン・ファンの教え」 カルロス・カスタネダ

「ドン・ファンの教え」


アメリカの大学で文化人類学を学ぶ若い著者カルロスが、メキシコに住むインディアンの師ドン・ファンから、呪術をそして多分、人生を学ぶ.

カルロスはある夜車を運転していて、ハイウェイを横切る犬のような動物を見るが、それが「ディアブレロ」かもしれないと思う.
「ディアブレロ」とは、呪術を使って、鳥、犬、コヨーテ、その他どんな動物にも姿を変えられる「人」のことである.
インディアンたちにその話をすると、答えは様々で、そんなものはいないという者もいる.
ドン・ファンの師匠は「ディアブレロ」だったという.

カルロスは最初ドン・ファンに、ペヨーテという薬草のことを教えてくれと頼む.
「だめだ!」
「ぼくがインディアンじゃないから?」
「違う。お前が自分の心を知らないからだ。」
ドン・ファンはカルロスに、まず、家の床の上で、自分がいるべき場所を探せ、と言う.
人が自然に幸福で力強く感じる場所があり、それを探せと言うのだ.
カルロスはまる一日床の上を転がり考え悩み、その場の「色」を感じることで、それを見つける.
ドン・ファンはカルロスを弟子と認める.
この始まりはとても面白い.
ルーク・スカイウォーカーとマスター・ヨーダの問答のようだ.
カルロスは何でもズケズケと質問するが、実は何にも分かっていない不肖の弟子で、師匠は呆れながらも、とにかく「才能」があると思われるこの男に、自分が学んだ呪術を伝えようとする.

ドン・ファンは、キノコや薬草が生み出す幻覚症状の「力」に、人格的な名前をつけていて、盟友とか守護者とかさらに男とか女のように呼ぶ.
我々が薬草を見つけるのではない、彼(薬草)が、我々を見つけるのだ.
採取の方法には厳格な決まりがあり、それを守らないと効果がないだけではない、死に至ることもあると師匠は言う.

ドン・ファンが「メスカリト」と呼ぶペヨーテの実で、カルロスはトリップする.
その描写は強烈な夢のようで、著者の記述は細部にわたってナイーブで豊かだ.
カルロスは幻覚状態の中で犬と戯れるのだが、それは犬ではなくメスカリトだと、ドン・ファンは言う.
カルロスはそれを信じられなかったが、ある夜のトリップで、人の姿をしたメスカリトに会う.
そのくだりはとても印象的だ.

メスカリトは男だが、デビルズ・ウィード(悪魔の草)は女だ.
その根、茎と葉、花、種を使うが、花は人を狂わせたり従順にしたり殺したりするのに使われる.
占いをするためには、すり潰したダツラの根やコクゾウ虫だけでなく、口を縫い合わせたトカゲとまぶたを縫い合わせたトカゲをつかう.
トカゲは友人であり、それを砂漠で捕まえる手順も守らねばならない.

薬草を身体中に塗って「空へ舞い上がった」カルロスが、
「ぼくは本当に飛んだのかい?」
「つまり、からだが浮いたのかい? 鳥みたいに空へ昇ったの?」
と訊く.
「鳥は鳥のように飛び、デビルズ・ウィードをやった者はそういう具合に飛ぶんだ」
と師匠は言うが、この弟子は納得しない.
キノコの煙を吸うと身体が透明になり、柱をすり抜ける.
しかし幻覚から覚めると、カルロスは、透明になった自分を鏡に映したらどう見えるのかと、師匠に詰め寄る.

4年余りの修行でカルロスは、日常生活の中で不安を感じるようになる.
それは、魂を失っているためだと師匠が言う.
そして師匠に言われた通り、インディアンのように戦い叫び、魂を奪いかえす.
このくだりもスリリングだが、
「わたし(カルロス)が、恐怖を引き起こしたものを論理的に指摘することができないのだと言うと、彼(ドン・ファン)はそれは死の恐怖ではなくむしろ魂を失うことへの恐怖で、不屈の意志をもたぬ者にはよくある恐怖なのだと言った。」
それがドン・ファンの最後の教えになった.
カルロスは、修行をやめてしまう.

著者カルロスは、半信半疑でいながら師匠を信頼しており、物事を真っ直ぐとらえようとしていて、彼らの行為は怪しげな魔術といった印象ではない.
若者らしい熱意と単純さをもった弟子と、経験豊富で多少短気でもある師匠の組み合わせは絶妙で、よく書かれたファンタジーのようにも見える.
幻覚体験は恐怖と至福の洪水で、それは多くの暗示を含んでいる.
ドン・ファンは、薬草と幻覚体験がインディアンとして生きるために必須だ、と言っているのでなく、世界を全身で感じろ、正しく怖れ、正しく戦え、と言っているのだ.
人間の無意識の豊饒さと得体の知れないチカラの前で、この若い文化人類学者は立ちすくむ.
修行をやめた著者が、文化人類学のテキストとして書いた巻末の「構造分析」は、まるで我々の知識の味気なさと滑稽さそのものだ.
そこに答えがあるのに、なぜそれに気づかない、というのが、ドン・ファンが我々に示した最大の教えである.

私が街を歩いていると、カラスが訊く.
おまえのメスカリトに会ったか?


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